かつてペストやコレラ、インフルエンザの大流行が世界のありようを変えたように、新型コロナウイルスも生活の様式や社会のシステム、経済の仕組み、そして国際社会の力関係に大きな変化を迫っています。個人としていかに防ぐかだけでなく、この感染症が社会と世界をどう変えるのかまで正しく理解しないと、この病気に対応できたとは言えません。
ニューズウィーク日本版が6月24日にムック「COVID-19のすべて」を発行するのは、新型コロナウイルス、そして新型コロナを含む感染症とは何かについて正しく理解しつつ、この病気がつくり出す新たな世界の姿を読者にいち早く知ってもらうためです。
第1章「人類vs新型コロナウイルス」は新型コロナウイルスの病原菌としての特質と感染力の特徴について、ジュネーブ在住の感染症研究の第一人者・國井修氏が図解とQ&A方式で分かりやすく解説します。第2章「人類vs感染症」では感染症と人類の戦いの歴史に加え、結核やエイズなど日本人の身近に迫った病気や、エボラ出血熱など世界を恐怖のどん底に叩き込んだ恐ろしい世界の感染症とその知られざるストーリーを紹介します。
また第3章「新型コロナが変えた世界」には、脱グローバル化する世界の大きな流れを踏まえつつ、「コロナ発祥国」中国の台頭▼インバウンド頼みだった日本経済が迫られる変容▼ノーベル賞経済学者ジョセフ・スティグリッツら世界的エコノミスト9人による世界経済の展望――といった記事を掲載します。
このムックを通じて、ニューズウィーク日本版編集部が読者に望むのは「多角的に新型コロナとその問題をとらえること」です。正しいうがい・手洗いは防疫上必須ですが、それだけではコロナの影響からは逃れきれません。この感染症の本質と背景、影響を正しく理解して初めて、21世紀最大の事件を克服したと言えるでしょう。
この一冊がみなさまのいっそうのコロナ理解と感染防止の一助になることを願います。
――長岡義博(編集長)
SPECIAL ISSUE「COVID-19のすべて」が好評発売中。ゼロから分かるCOVID-19解説/歴史に学ぶ感染症の脅威/ポスト・パンデミックの世界経済......。錯綜する情報に振り回されないため、知っておくべき新型コロナウイルスの基礎知識をまとめた1冊です。
本誌11月5日号(10月29日発売)は「山本太郎現象」を特集した。7月の参院選で新風を起こしたれいわ新選組を率いる山本太郎氏とは何者か、彼の存在は日本政治にとってどんな意味を持つのかを探るものだ。
目玉となる森達也氏の原稿に添える写真は、山本氏のこれまでが一目で分かるように、芸能界での活躍、反原発活動、参議院議員時代、そして7月の参院選といくつかのステージに分けて選ぶことになった。
山本氏といえば「メロリンQ」、ダンス甲子園(「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」)での奇抜な一発芸を思い浮かべる人は多い。初めての出演は90年、彼が高校1年生のときで、これをきっかけに芸能界入りをした。彼の出発点である「水着に水泳帽姿」の写真はぜひ使いたかったが、もとはテレビ映像ということもあり入手がなかなか難しい。
調べるうちに、メロリンQ姿の写真に「夢は政治家、総理大臣になったるでぇ~!!」というタイトルを添えたグラビア記事があることをツイッターで知った。今の彼につながる象徴的な絵だ。どの雑誌かは不明だったが、91~92年のアイドル誌「明星」に山本氏がたびたび登場していたらしかったので、当たりをつけて92年2月号をフリマアプリで購入。だが残念ながら、載っていたのは目的のものではなく、「初夢~ああ青春の...天国と地獄」という記事だった(上写真)。
この頃の彼がかなりはじけていたことは間違いなく、政治家・山本を語るときに「しょせんメロリンQ」と揶揄する声は今でもある。ただ印象は強烈だが、それはほんの一時期のことで、91年の映画デビュー以降、俳優として約20年も活動した。主演作は数多く、01年度には『光の雨』『GO』で日本映画批評家大賞助演男優賞、03年度には『ゲロッパ』『MOON CHILD』『精霊流し』でブルーリボン賞助演男優賞を受賞するなど、実力もあった。
それでも参議院議員になってからの活動で、演技じみたり、ふざけたところがあると感じた人はいるだろう。例えば、13年秋の園遊会で天皇(当時)に手紙を渡した事件や、15年9月の安保法案採決時に喪服姿で牛歩し、焼香のマネをしたことなど......。しかし今回の特集で話を聞かせてくれた森ゆうこ参議院議員によれば、今はもうふざけ過ぎという感じはなく、かなり慎重になっているという。当たり前だが、人は変わるし、成長するということだ。
「山本はしょせん高校中退」と見下す人もいるが、それが意味のない批判であることは簡単に分かる(いうまでもないが、大卒であっても......という人はたくさんいる)。同じく話を聞かせてくれた立命館大学の松尾匡教授は彼について、「地頭がいいというか、物を考える力がある」「高校中退はマイナスではなく、プラスになっていると僕は思う。エリート街道を歩んできた政治家は、苦しんでいる人たちの状況がピンとこない」と語っていた。
彼の強烈な個性について、好き嫌いがはっきり分かれるのは確か。それがこれからの日本にどんなインパクトを与えるのか――特集『山本太郎現象』をぜひ読んで頂きたいと思う。
そして、もし「夢は政治家、総理大臣になったるでぇ~!!」の記事がどの雑誌かお分かりの方がいましたら、編集部までご一報ください!
――編集部・大橋 希
10月29日発売号は「山本太郎現象」特集。ポピュリズムの具現者か民主主義の救世主か。森達也(作家、映画監督)が執筆、独占インタビューも加え、日本政界を席巻する異端児の真相に迫ります。新連載も続々スタート!
最近、リベラルを自認する友人から戸惑い気味にこう吐露された。「さすがに自分も、最近の韓国はないなって思うようになっちゃった......」
こう思っているのは、おそらく彼だけではない。
今年5月~6月にかけて日本の非営利組織「言論NPO」が実施した世論調査によれば、韓国に対して「良い印象を持っている」という人は20%、「良くない印象を持っている」は49.9%。日韓関係が「戦後最悪」と言われるなか、回答者の約半数が悪印象を持ち、日本では「韓国が嫌い」、いわゆる「嫌韓(けんかん)」と呼ばれる現象が目に付くようになった。
「嫌韓」を主張する雑誌や書籍が売れる。ワイドショーが韓国の「反日」を伝え、コメンテーターが怒りのコメントをぶちまける。インターネットには嫌韓コメントが溢れかえる......。「嫌韓」は、よりありふれた光景になりつつある。
文在寅政権の対日外交や国民主体の「反日」デモなど、「相手側」の責任を指摘する声は多い。だが、週刊ポスト誌が「韓国なんて要らない」という特集を掲載して謝罪に追い込まれたように、単なる韓国批判を超えた「行き過ぎた」言説がそこかしこにあふれ出ているのは、なぜなのだろうか。そこには、何か別の要因もあるのではないか。
本誌は10月15日号(10月8日発売)の「嫌韓の心理学」特集で、日韓どちらの責任かという論点とは別の側面から、この「嫌韓現象」を解き明かそうと試みた。
3本の記事から構成される本特集のうち、1本目の「心理学で解く『嫌韓』のメカニズム」は、TBSラジオ『荻上チキSession-22』でパーソナリティーを務める評論家・荻上チキ氏と、著書に『レイシズムを解剖する 在日コリアンへの偏見とインターネット』(勁草書房)がある社会心理学者・高史明(たか・ふみあき)氏が共同執筆。「誰が、どのようにして嫌韓に『なる』のか」について、社会心理学が蓄積してきた偏見についての研究や社会文化的要因から解き明かす。
本記事で指摘される興味深い事実の1つは、日本人の「韓国人観」の変遷だ。1941年に元大阪学芸大学の心理学者・原谷達夫氏らが日本の小学生~大学生を対象に12の人種・民族集団について持つ信念や態度を調査したところ、朝鮮人への好感度は日本人、ドイツ人、イタリア人に次いで4番目に高かった。嫌韓どころか、「好韓」だった時代があったのだ。(※ただし、当時既に第二次大戦が始まっている中での「敵」もしくはそれに準ずると見なされる民族・国民と比べた相対評価であり、独立した同盟勢力であるドイツ人やイタリア人よりは低い評価であったし、日本人と対等に扱われていたわけでもないことも荻上氏・高氏は指摘している)
※記載に不十分なところがあったため、加筆しました。(2019年10月10日14時00分)
それが、敗戦直後の1946年には最下位である12位に落ちる。その後、2000年代には韓国に対する態度は比較的ポジティブだったのが、2012年には急激に悪化した。(内閣府「韓国に対する親近感」調査)
荻上氏と高氏は、あるタイミングで嫌韓に「なる」背景に社会文化的要因を指摘しつつ、「誰が偏見を持つのか」について社会心理学の偏見研究を紹介していく。2人は、「嫌韓」を理解するためのキーワードとして「現実的集団葛藤理論」「集団的ナルシシズム」「セレクティブエネミー」「集団間接触理論」を挙げ、こう書いた。
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最近のマスメディアは、韓国がいかに「反日的」であるかを報じ続けている。こちらが相手を憎んでいるのではなく相手がこちらを憎んでいるのだというフレームを用いることで、集団間の葛藤の責任を全て相手に転嫁しながら、視聴者の感情をかき立てている。
日本に対して好意的でない韓国人のみに注目し、「セレクティブエネミー」を用いることは、日本人が持つ排外主義にお墨付きを与え、ヘイトクライム(偏見に基づく犯罪)にすらつながりかねない。偏見や敵意は社会的に学習される。メディアはこれまで以上に、自らの「製造者責任」を問わなくてはならない。
続く2本目の記事「日本に巣食う『嫌韓』の正体」では、ノンフィクションライター・石戸諭氏が「韓国嫌い」を醸成するメディアの責任を問う。週刊ポストに限らず、ワイドショーや雑誌が嫌韓報道を繰り返す背景には何があるのか。
石戸氏は強い影響力を持つヤフーニュースのコメント欄に注目し、さらには、戦後の貧しかった頃の韓国を知る「上から目線」の世代と、経済成長した韓国しか知らない新しい世代が「ふわっとした嫌韓」を共有する理由にも踏み込んでいく(ウェブ版はこちら)。
3本目の「そして保守はいなくなった」では文筆家の古谷経衡氏が、「嫌韓」が世代を超えて広がる現象を「ネット右翼と保守の合体」という視点から浮かび上がらせる。旧来の保守は当初、2002年のサッカーワールドカップの頃に誕生したネット右翼とは分離していたが、それが同じように「嫌韓」を叫ぶ存在になってしまったのはなぜなのか。
古谷氏によれば、両者をブリッジさせたのは「動画」だ。その結果、保守の「古老」たちは「有頂天」になり、「差別を区別と言い直して、根拠のあるなしにかかわらず、嫌韓の渦の中に合流していった」――。保守の論客である古谷氏から「自称保守」たちへの痛烈な批判が、「嫌韓」現象の中核を斬る(ウェブ版はこちら)。
――本誌・小暮聡子、森田優介
※10月15日号(10月8日発売)は、「嫌韓の心理学」特集。日本で「嫌韓(けんかん)」がよりありふれた光景になりつつあるが、なぜ、いつから、どんな人が韓国を嫌いになったのか? 「韓国ヘイト」を叫ぶ人たちの心の中を、社会心理学とメディア空間の両面から解き明かそうと試みました。執筆:荻上チキ・高 史明/石戸 諭/古谷経衡
日本の雑誌業界の中でオンリーワンの存在として、国内外のメディアが伝える「日本」とは一線を画した視点で、日本と世界の関係をとらえてきました。この半年間だけでも、2019.6.4号「百田尚樹現象」、2019.4.30/5.7号「世界が尊敬する日本人」、2019.3.12号「韓国ファクトチェック」といった特集を組み、お陰様で話題を呼んでいます。
早くも1998年にはウェブサイトを開設し、国際情勢を中心としつつも、さまざまなジャンルのトピックを扱うウェブメディアとしても成長を続けてきました。月間で2300万PVに達し、国際情勢に限っても、米中貿易戦争からブレグジット、日韓関係、イラン情勢、果てはアフリカなど日本では見過ごされがちな地域の情勢に至るまで、記事・コラムを幅広い読者に届けています。
このたびニューズウィーク日本版(ウェブ版を含む)では、業務拡大につき編集記者・編集者を募集します。
日本と世界の関係が改めて問い直されている今、私たちと一緒に「雑誌+ウェブ」のメディアを作っていきませんか?
――編集長・長岡義博(ながおか よしひろ)
プロフィール:1969年石川県生まれ。91年、大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)外国語学部中国語学科卒業。同年、毎日新聞入社(大阪本社配属)。事件・行政・選挙を担当し、95年に神戸支局で阪神・淡路大震災を取材。02~03年、中国人民大学(北京)国際関係学部に留学。06年からニューズウィーク日本版勤務。2010年よりニューズウィーク日本版副編集長。12年に中国共産党大会を現地取材。2017年7月よりニューズウィーク日本版編集長。
契約社員
「ニューズウィーク日本版(ウェブ版含む)」編集記者・編集者を募集
募集対象:編集者・記者・ウェブ編集者・TVディレクター経験をお持ちの方(1年以上)
業務上の使用に耐える英語力をお持ちの方
(尚可)英語以外の外国語能力をお持ちの方
【募集人員】若干名
【資格】大卒以上(経験者)
【給与】経験・能力・前職給与を考慮し、当社規定による
※契約社員として採用、正社員登用の途あり
賞与年2回支給
【待遇】通勤手当全額支給、各種社会保険完備
【休日】完全週休2日制
年次有給休暇
夏期休暇、年末年始休暇
【応募方法】履歴書(写真添付)、職務経歴書、当社志望理由(800字程度)を下記へ郵送ください。応募秘密は厳守いたします。なお、応募書類は返却しません。
【応募締切】2019年7月12日(金)必着
※書類選考の上、次のステップに進んで頂く方には追って、英語の筆記試験、企画書の作成、面接日時等をご連絡いたします。
(筆記試験の際は筆記用具をご持参ください)
履歴書にEメールアドレスを必ず明記してください。
誠に恐縮ながら、次のステップに進んで頂く方のみにご連絡させて頂いております。
【応募先】
〒141-8205 東京都品川区上大崎3-1-1
株式会社 CCCメディアハウス 管理局採用担当
電話 03-5436-5712
http://www.cccmh.co.jp/company/
ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか。
5月28日に発売された特集「百田尚樹現象」(6月4日号)に、大きな反響をいただいています。有難いことに、読んでくださった方から評価する声がたくさん届いていますが、なかには特集を告知した時点で「天下のNewsweekが特集するテーマですか?」「これ持ち上げてるの?disってるの?」という質問も見受けられたので、なぜこの特集を組むことにしたのか、お話しさせていただこうと思います。
そもそもの出発点は、『日本国紀』(幻冬舎)は一体誰が読んでいるのか、というシンプルな問いでした。65万部のベストセラー本として書店には平積みになっているのに、周りで「読んだ」という人には出会わない......。それでも、百田氏の本は小説も含めてヒットを重ね、ツイッターでの発言には「いいね」がたくさん付いていく。「見えない」世界を前にしたとき、2016年に駐在していたニューヨーク支局で、トランプ大統領の誕生とともに「もう1つのアメリカ」を突き付けられた経験を思い出しました。
当時、アメリカのリベラルメディアの多くは「トランプ現象」の本質とその広がりを見抜けていませんでした。ドナルド・トランプ氏を暴言王、差別主義者と批判し、アメリカ国民がそんな人を大統領に選ぶはずがないと、どこかで「信じて」いました。しかし結果として、投票した有権者の半数がトランプ氏に入れた。その現実を前にした時、米メディアのリベラルエリートたちは、自分たちは実はマジョリティーではなかった、東海岸と西海岸の都市部からは見えていない、もう1つのアメリカがあったのだと思い知ることになりました。
もちろん、百田現象とトランプ現象を同列に並べることはできません。そもそも、百田尚樹「現象」など存在しないという見方もあります。しかし、現象の広がり方や立場などに違いはあるにせよ、2人には共通点がありました。どちらもテレビ番組の手法を熟知し、ツイッターでポリティカル・コレクトネス(政治的公正さ)など意に介さない言動を繰り返す。
私がアメリカで取材していて、トランプ支持だがトランプ氏の過激な発言そのものは支持しないという人に多く出会ったように、百田氏の本を買う人たち全てが百田氏の考えに同調しているわけではないでしょう。それでも、まるで「隠れトランプ支持者」のように、ネット空間には百田氏の発言や考えを強く、または緩やかにでも支持する人たちが存在します。それが何を意味するのかを、メディアは捉えきれていないように思いました。
自分たちに見えていないものがあるのだとしたら、まずはそれを可視化したい、分からないものを読み解く特集を作りたい、というのが「百田尚樹現象」の企画趣旨です。加えて言えば、ニューズウィーク日本版には百田氏の著作によって出版社が利益を得ているから踏み込みづらいという「週刊誌メディアの作家タブー」がない、という事情もありました(この点は、「百田尚樹『殉愛』の真実」〈宝島社〉に詳しいです)。
さらに加えれば、(これは内輪の話になりますが)本誌編集長と副編集長を含め大阪で『探偵!ナイトスクープ』を番組開始当初から観て泣いたり笑ったりしていた人たちからは、昨今の百田氏の言動を見て、人情深い同番組の構成作家・百田尚樹との二面性を謎解きしたいという声も上がっていました。
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企画にゴーサインが出てから、取材を進める上でのスタンスを「批判」ではなく「研究」と決めました。「百田人気を支えるもの」について、是非を問うのではなくフェアに研究しよう、と。仮説を立ててそれを立証するための素材を集めていくのではなく、「日本国紀は誰が読んでいるのか?」という小さな問いからスタートし、そこに連なる素材を探しながら一つ一つ検証する。演繹法ではなく、帰納法。
そういうスタンスの取材記事に、特集『沖縄ラプソディ』(2019年2月26日号)に長編ルポを書いてくれたノンフィクションライターの石戸諭氏はぴったりでした。前回も石戸氏は、沖縄の辺野古埋立てによる新基地計画に賛成か、反対か、なぜそう考えるのか、賛否が分かれる問題について双方から丁寧に聞き取りました。今回の特集も、企画段階から「百田研究」というアングルを提案してくれていた石戸氏に執筆をお願いすることにしました。
【関連記事】辺野古「反対多数」 沖縄ルポで見えた県民分断のまぼろし
石戸氏の、「批判」ではなく「研究」するという取材姿勢は、今回の特集記事を根底から支えています。石戸氏は百田氏に取材を依頼する際にも、自分とは「政治的な価値観や歴史観は異なる」と断った上で、百田氏は本当のところは何を考えていて、なぜそう思い、行動するのかを知りたい、と伝えました。
取材の目的を「自分と価値観の違う相手を論破する」こととせず、相手がなぜそう思うのかを「知りたい」という姿勢で聞こうとする。単に批判したいだけであれば、当人たちに取材せずにパソコンに向かって批判ありきの評論を書くこともできますが、私たちがやりたかったのは「批判」ではなく「研究」です。石戸氏の取材意図は、記事中にもこう書かれています。「インタビューでも主張すべきはしたが、ディベート的に言い負かすための時間にはしなかった。彼の姿勢を丁寧に聞くことが、私が知りたい現象の本質を浮かび上がらせると考えたからだ」。
また、記事中で紹介したように、百田氏がレギュラー出演しているネット番組『深相深入り!虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビの山田晃社長は「リベラルはおもろないねぇ」と言います。じゃあ面白いものを作るしかない、作ってみたい、という気持ちもありました。成功したかどうかは読者の判断に委ねるしかありませんが、計20ページという誌面を割いた特集は、そうした挑戦でもありました。
本特集に対して頂いているコメントは、可能な限り拝読しています。反応を含めて、百田現象を読み解く鍵となると思うからです。発売前から、百田氏ファンからの「センセ、凄い!!」というコメントもあれば、百田氏を取りあげたこと自体を批判する声もありました。特集しただけでハレーションが起きることも、百田現象の一端なのだと思います。読んでコメントしてくださっている方は、スタンスの違いにかかわらず、心から有難うございます(ヘイトスピーチは論外ですが)。
この特集は、まずは捉え切れていなかった事象について知ろうとし、可視化しようという試みでした。「百田尚樹現象」とは何なのか。2カ月以上の取材を経て、石戸氏は16ページの長編ルポをある「結論」で結びました。記事中に提示した素材のさらなる分析も含めて、今後の議論の一端になれば、とても嬉しいです。
――編集部・小暮聡子
*石戸氏ご自身が取材の意図についてTBSラジオで話された内容は、こちらから視聴できます。
※6月4日号(5月28日発売)は「百田尚樹現象」特集。「モンスター」はなぜ愛され、なぜ憎まれるのか。『永遠の0』『海賊とよばれた男』『殉愛』『日本国紀』――。ツイッターで炎上を繰り返す「右派の星」であるベストセラー作家の素顔に、ノンフィクションライターの石戸 諭が迫る。百田尚樹・見城 徹(幻冬舎社長)両氏の独占インタビューも。
発売中のニューズウィーク日本版は、特集「移民の歌」。日本の移民事情について精力的に発信を続けている望月優大(ひろき)さんに、10ぺージのルポを寄稿していただきました。
半年前に海外支局から本帰国して以来、最も気になり、ずっと特集したかったのが、日本による外国人労働者受け入れ拡大問題でした。私も最近までアメリカで「移民」でしたし(国連などの国際機関の定義では、1年以上外国で暮らす人は「移民」だそうです)、この定義で言えばアメリカ含め他国で「移民」として生きている友人がたくさんいるし、国内にも外国人の友がいて、外国人の配偶者と家族をもって暮らしている友人もいます。
日本の「移民」問題はまったく他人事ではなく、今自分が暮らしているこの国が外国人に対してどういう態度をとるのか、また、日本で暮らしている外国人がこの国をどう思っているのか、とても気になっていました。
望月さんがこの問題について誠実に取り組んでらっしゃるのを遠くから見ていて、数か月前に連絡を差し上げ、編集長と副編集長と一緒にお会いしました。Cool head but Warm heartという言葉があるそうですが、初めてお会いする望月さんは、まさにそんな感じの方でした。
これまでウェブ媒体メインで活動されてきた望月さん、紙での長いルポは書いたことがないとおっしゃっていたけれど、私はどうしてもこの問題について望月さんによるルポで読みたくなり、執筆を依頼しました。ルポというのは、人柄が出ます。同じ現場に行き同じものを見ても、何に驚き、心を動かされ、読者に伝えたいと思うかは人によって違う。その意味でも、望月優大さんはこの問題をどう描くのだろう、どういう言葉を紡ぐのだろうと、知りたくなりました。
望月さんにお引き受けいただき、臨時国会がこの問題を審議し始めた11月半ば、横須賀市追浜、福島県郡山、大阪府豊中で取材を敢行しました。私も担当編集としてすべて同行させていただいたのですが、望月さんの取材に対する姿勢にまず敬服しました。取材が終わるごとに話してくれた「雑感」も、1つ1つの言葉が鋭さと優しさに満ちていて、すべて書き留めておきたいくらいでした。
在日28年の日系ペルー人、失踪した技能実習生、技術ビザで働くベトナム人と雇い主の日本人工場長。行く先々で、日本人を含め多くの方たちから話を聴いた望月さんは、長いルポをこう結びました――移民たちのリアルは、私たちのリアルでもある。
今週号の1万2000字には、この国で暮らす「移民」たちの声と、それを聴く望月さんの温かいまなざしがぎっしり詰まっています。ぜひ、お読みいただけると嬉しいです。
――編集部・小暮聡子
※本誌掲載のルポをウェブで全文公開しました(2018年12月17日)> 永住者、失踪者、労働者──日本で生きる「移民」たちの実像
※12月11日号(12月4日発売)は「移民の歌」特集。日本はさらなる外国人労働者を受け入れるべきか? 受け入れ拡大をめぐって国会が紛糾するなか、日本の移民事情について取材を続け発信してきた望月優大氏がルポを寄稿。永住者、失踪者、労働者――今ここに確かに存在する「移民」たちのリアルを追った。
]]>「変態トウガラシ(変態辣椒)」という奇妙なペンネームの中国人漫画家が最近、日本と中国で注目を浴びている。本名は王立銘、41歳。性的にアブノーマルなわけではなく、いたって普通の常識人だ(「変態」はこの場合、中国語で「激辛」の意味になる)。王氏が最近、頻繁に日本のニュースで取り上げられているのは、中国の習近平政権による言論や表現への締め付けと、改善の兆しがまだ見えない日中関係という2つの政治的な嵐に巻き込まれ、この夏から日本への「亡命」を余儀なくされているからだ。
王氏は文化大革命のさなかの73年、下放政策によって上海から新疆ウイグル自治区に送られた両親の下に生まれた。文革終了後に上海に戻り、進学してデザインを学んだ。漫画を描くのは子供の頃から好きで、09年からネットで辛辣な風刺画を発表し始めたところ、次第に人気を集めるようになった。中国マイクロブログ微博のフォロワー数は、最も多い時で90万人に達した。ただ、中国では漫画といえども政府批判は許されない。90万人もフォロワーがいればなおさらで、王氏はたびたび公安当局者から「お茶」に呼び出され、暗に風刺漫画を描かないよう求められるようになった。
日本に「亡命」することになったきっかけは、今年5月のビジネス目的の旅行だった。生計の手段として続けていたネット販売のリサーチで訪れた日本で、日本人の礼儀正しさや平和主義についてブログにつづったところ、共産党機関紙である人民日報系のサイト「強国論壇」が突然、「媚日」「売国奴」「関係部門は法に基づいて調査せよ」と批判する文章を掲げた。微博のアカウントも削除された。
突然のバッシングに危険を感じた王氏は、8月末の予定だった帰国便をキャンセル。一緒に来ていた妻とともに日本の入国管理局に滞在延長を申請し、現在は知人の協力で、埼玉大学の客員研究員として日本に留まり続けている。
王氏が中国に戻ることをためらったのは、必ずしも過剰反応とはいえない。昨年、王氏と同じく政府批判で人気を集めていたブロガー「薛蛮子」が買春容疑で拘束され、自己批判する様子がテレビで中国全土に放送された。人権派弁護士の浦志強など、中国政府にとって耳が痛い指摘をする人々が次々と拘束され、今も釈放されていない。中国の公安当局は王氏の友人に「王はウイグル族のテロリストとつながりがある」「アメリカから秘密資金を受け取っている」と、でたらめを言いふらしているという。
香港デモを象徴する黄色い傘をもった3人の若者に対して、カメの甲羅に閉じこもった習近平が嫌な顔をしている――日本に「亡命」した後、王氏が発表した作品の1つだ。現在の習近平政権は香港の学生だけでなく、自分と異なる政治的な主張をもつあらゆる人々を排除しようとしている。その統制ぶりは、習の前任者である江沢民や胡錦濤の時代が「自由な時代だった」と懐かしく思えるほどだ(実際、この2人の統治ぶりも十分強権的だったのだが)。
政権を批判する風刺漫画をやめようと思えば、やめる機会はあった。中国ではネットビジネスのチャンスが日本人の想像よりずっと多く、漫画をやめれば月2万〜5万元(30万〜75万円)の収入を得ることもできた。ただ「人生は1つの作品」と考える王氏にとって、自由な表現を続けることはカネよりも大切だった。
キリスト教徒である妻も、王氏を支えている。日本やアメリカのメディアでいくつか連載の話が進み始めているが、突然の「亡命」で暮らしはもちろん楽ではない。改革開放が始まってから、多くの中国人の価値観はカネに支配されてきた。そしてカネで動かない、価値観の異なる人々を習近平政権は監獄に送ってきた。ただ王氏のように、カネで動かない人間も中国には確実に存在する。
「中国に帰らない覚悟はできている」と、王氏は言う。共産党が自分たちに反抗しない「愚民化政策」を続け、その統治が続く限り帰国はできない――そう考えるからだ。王氏のような人々がいる一方で、いまだに「カネで動く人々」が大半を占めるのもまた、残念ながら中国の現実である。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
*次ページから、王氏の政治風刺漫画を紹介します。
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共産党政府がチベットの仏教寺院に毛沢東ら歴代トップ指導者の肖像を掲げるよう指示したことを皮肉った作品
今年、南アフリカ政府が自国で開催される「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」でダライ・ラマのビザ発給を拒否した問題をテーマにした漫画
(c)Rebel Pepper
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小笠原・伊豆諸島沖に今年秋、突如出現した中国の違法サンゴ漁船は日本と中国の外交問題に発展した
北京周辺の工場を強引に操業停止させ車の走行を制限して、習近平政権はようやくAPECの期間中だけ北京に青空をつくり出した
「グレート・ファイアウォール」という検閲システムで自由なネット使用を制限する中国だが、APEC期間中だけは外国メディア向けニュースセンターに自由なネット接続を認めた
(c) Rebel Pepper
先日、中国に出張した時、上海と約200キロ離れた紹興市を結ぶ高速鉄道に初めて乗った。中国の高速鉄道といえば11年に温州で起きた衝突事故のせいで未だに「危険」という印象がぬぐえない。加えて中国人の乗客たちは所構わず携帯電話でしゃべりまくる――。中国のネガティブイメージを象徴するような場面だが、乗客たちの電話の会話をよく聞けば、仕事の話がほとんど。見方を変えれば、それほど中国でのビジネスは猛スピードで活発に動いているということになる。高速鉄道そのものも、日本の特急や新幹線とサービスや安全性の点で大きな違いは感じなかった。一昔前、中国の鉄道といえば乗客が食べたヒマワリの種をまき散らすことで悪名高かったが、少なくとも周りの乗客にはそんな人はいなかった。
もちろんいい話ばかりではない。高春梅の給料がうなぎ上りに増えたのは、本人の頑張りもあるが、それ以上に中国経済全体が北京オリンピックを頂点にした高成長ムードに包まれていたことが大きいだろう。その熱気が消え、低成長時代が目前に迫った今、中国人自身がどう自分たちを「構造転換」していくのか。かつて日本と日本人が30年近く前に経験したより、その道のりははるかに厳しい。何せ人口は日本の10倍以上なのだから。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)、田中奈美(ジャーナリスト)
*Newsweek日本版9月23日号のカバー特集は「等身大の中国経済」。データには必ずしも現れないリアルな中国人の経済生活を追いました。
――浦弁護士に続いて、記者やほかの弁護士の拘束が続いています。
(浦弁護士の捜査に関連して拘束されていた)日経新聞重慶支局の中国人助手の家族に26日、「騒動挑発」罪での正式な拘留通知書が手渡されました。
浦氏の事件では浦氏のめいの弁護士と元サウスチャイナ・モーニングポスト紙記者も拘束されているが、日経の助手も含めてすべて女性で、子供がいます。当局が浦氏に圧力をかけやすくしようとしていると思える節もあります。
公安当局は浦氏やめいの弁護士が、中国メディアの代理として、企業の登記情報を入手していたことを不正な個人情報の入手だとして立件しようとしているようで、浦氏と関係のあった記者たちから事情聴取しているようです。しかし、企業の登記情報は公開されており、個人情報には当たらず、それをもって犯罪だというのは荒唐無稽です。
浦志強弁護士(今年2月撮影)(c)Nagaoka Yoshihiro――6月4日の天安門事件25周年の1カ月前に開いた集会が騒乱挑発罪にあたるとされた訳ですが。
あくまで口実だと思います。習近平政権は反腐敗・反汚職を名目に「双規(編集部注:事件の調査で『規定の時間、規定の場所で関係者に説明を求める』という条例の記述を根拠に、共産党内の規律検査部門が事実上、無制限に行う取り調べのこと)」を使って多数の共産党員を逮捕していますが、浦弁護士はこの「双規」の違法性を問おうとしていた。この動きが当局を刺激した可能性があります。
――習政権は既得権益層である国有企業を対象にした汚職狩りを続けています。これは、「抵抗勢力」を排除することで、中国経済の構造改革を進めやすくする狙いもあるのでは?
ただ、中央の指導者たちは、家族や親戚が関係する国有企業には手をつけたくないでしょう。権力闘争が激しい地方の党組織が率先して取り締まるのも、敵対勢力の汚職です。ですので、必ずしも汚職摘発が構造改革のため、ということでもないと思います。むしろ、政敵の追い落としに利用している側面が強いのではないでしょうか。
――中国当局の人権侵害について、当の中国人はどう受け止めているのでしょうか。
例えば、日本で学ぶ中国人留学生でも、浦弁護士の存在を知らない人が大多数です。自分には関係ないと思う学生もいますし、あるいは中国に合わない人権擁護運動は意味がないと反感をもつ人もいます。それは中国社会の多様化・重層化と関係している。ほとんどの中国人は日々の暮らしを生きることに精いっぱいで、浦氏たちの言っていることがきれいごとに映る部分もある。
天安門事件をきっかけに、中国では多くの知識人が(民主化運動や人権とは関係ない)ビジネスの世界に入ったり、あるいは海外に流出したりしてしまいました。その結果、有力な知識階層がほとんど育たなくなり、外に出た人は出た人で日々の暮らしに追われ、政権に残った側は自分たちの地位を守ることに汲々とする、という状況になっています。
法律学者の許志永氏が(出稼ぎ労働者の教育機会均等や政府高官の資産公開を求めて)始めた「新公民運動」のような動きに加わって来る人たちもいますが、裾野はなかなか広がりません。中国人ももちろん高い理想を持つ人ばかりではなくて、例えば、「ごね得」とばかりに、環境保護や強制立ち退き反対を名目に、自分の利益を最大化しようとするような人もいる。市民社会、公民社会が育っていないのです。
――中国では相変わらず深刻な人権侵害が続いている訳ですが、外交的に対立しがちなこともあり、日本では中国の人権改善を正面から求める動きは鈍いです。
共産党にとって、日本を敵国としてとらえるのは自分たちの正統性を証明するための「神話」です。ただ最近、一部の市民や浦弁護士もその1人ですが、共産党の「神話」を新たな文献を提示することで突き崩そうとする動きが現れていました。例えば(50年代末から60年代初めにかけての)大躍進運動の死者数などについてなどですが、真実をしっかり明らかにしようとする動きが中国で起きている、ということは日本人も知るべきだと思います。あるリベラル知識人が集まった内輪の研究会で領土問題が話題に上った際には、出席者の8割が「尖閣は日本の領土」という意見を持っていたという話も聞きました。
浦氏の刑事拘留期間(37日間)の満期まであと約2週間。捜査に関する情報は漏れ伝わって来ないが、持病をかかえる浦氏が厳しい状況にあるのは間違いない。今年2月の来日時の取材(「中国を変えた男」)で、浦氏は「領土問題や南京虐殺といった歴史問題でなく、今の中国政府が新公民運動のような人権運動を弾圧していることを強く批判すべきだ」「日本政府はそれができる立場にある」と語っていた。中国の領土的・軍事的膨張は加速こそすれ、収まる気配がない。そして、我々日本人はますます中国国内の人権問題に注意を払わなくなっている。「まず忘れてほしくないのは、中国人民の権利が今も侵害されているということだ」という浦氏の言葉を、25年目の6月4日を前にもう一度かみしめている。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
]]>経済依存が強まれば強まるほど、台湾が中国にのみ込まれ「第2の香港」になるリスクは高まる。そうなれば少なくとも87年の戒厳令の解除以降、台湾社会が築き上げてきた民主主義や人権重視といった価値観は危うくなる――学生たちはそう懸念している。同じ中国語を話し、同じように漢族が90%以上を占める国だが、台湾と中国は今やかなりカルチャーが違う国になった。民主主義をいつまでたっても認めず、人権を平気で踏みにじる大陸の共産党政権のやり方を見て、学生たちが台湾の未来を不安に思うのもある意味無理はない。
先日、台北で「服貿」に反対する大規模なデモ(参加者数は主催者側が50万人、警察が11万人と発表している)もあった。日本ではまるで「台湾全体が協定反対で盛り上がっている」「学生の運動は理性的で、市民にも支持が広がっている」という印象が特にメディアの報道を通じて広がっている。ただいったんこういったイメージが広がると、運動の異なる側面はなかなか伝わって来ない。果たして、この学生運動は正しいばかりのか。
「多くの学生が自分たちの考えに反対する人たちをひどい言い方で攻撃している。到底耐えられない。反対の声が上げにくいこんな雰囲気は、とても民主的とは思わない。互いに尊重し、理性的に議論してこそ本当の民主主義のはず。でも今は『同意しなければすなわち敵』になっている......」
「議会を開かせないため議場を占領するのは分かる。でも設備を壊すのはやり過ぎ。今回興味深いのは、多くの学生たちが考えの違うフェイスブック上の友人を削除していること。考えが違う自分の友人を許容できない人が、どうして他人を尊重できる? みんな自分の考えを他人に認めさせることばかり考えている。そして、自分と違う声や考えなら、即削除。この活動が『理性的』って本当に言えるかしら」
デモの後、知り合いの台湾人女性2人に意見を聞いた。2人とも子供のいる母親だが、まるで自分の子を叱るような、思いもかけない厳しい言葉が返って来た。しかもまったく別々に取材したのに、驚くほど内容が似通っている。2人とも国民党支持あるいは民進党系という政党性はなく、明らかにノンポリだ。
台湾のテレビ局TVBSが先月23日に実施した世論調査で、立法院の占拠は51%が賛成、反対は38%だった。TVBSは国民党系のテレビ局なのである程度割り引いて考えるべきだが、それでも今回の運動に対する一定数の反対者たちがいることは間違いない。そしてその声が台湾の外に伝わることはあまりない。
「彼らはサービス貿易協定に反対してるけど、協定が何か本当に知っているのかしら?」
「国と国との間で決めた協定を片方が勝手に破棄すべきではないでしょう。サービス貿易協定がいいかどうか、私には断言できないし、賛成か反対か表明することもできない」
このサービス貿易協定は美容や印刷から建築、金融まで相当広い範囲の業種を対象にしている。しかもそれぞれの業種によって台湾、中国それぞれの開放の度合いが違い、この協定が「台湾に得か、損か」を論じるのは実は簡単ではない。2人の正直な声は、一定の教育を受けた常識的な台湾人の本音を反映しているはずだ。だが、こういった声もあまり日本に届くことはない。
もちろん大半の台湾人にとって、大きくなるばかりの中国の存在はチャンスであると同時に脅威だ。リスクを取って独立を求めるでもなくあきらめて統一を受け入れるでもなく、現状維持というある意味「ぬるま湯」に浸って来た台湾に、清算の時が迫りつつある――今回の学生運動は今後始まる軋轢の序章でしかない。だとすれば、台湾と台湾人が選ぶべきなのは、どんな未来なのだろう。母親である彼女たちは、子供の将来をどう思い描いているのだろうか。
「大陸に行かなければ仕事がない......悲しむべき事態だけど、台湾人はこうするしかなく、ほかに方法はない。1人の母親として子供に望むのは、競争力を身につけて国外で成功すること。台湾は沈み続けるだけだから......」
「たぶん、将来はもっと『現状維持』が難しくなる。そう分かっているから、台湾はもっと外に出ていかなければいけないと思う」
台湾と台湾人が育ててきた価値観は、中国が振りかざすその場限りの強権政治に劣るものでは決してない。ただ、中国の膨張と日々強まる圧力は、国際社会の否定しようもない現実だ。民主主義や人権を大陸の圧政から守ろうと主張する学生運動は正しい――そう手放しで称賛することはたやすい。ただ、台湾が直面している現実は、遠く離れた日本で日本人が想像しているよりずっと複雑で、台湾人たちは日々その難しい状況と格闘している。そして、彼らなりのやり方で必死に生き残る方法を考えている。
「伝わらない声」にも耳を傾けなければ、台湾問題の深層は理解できない。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
※終わりの見えない学生運動と台湾を取り巻く国際環境についてリポートした記事「台湾学生運動の本当の敵」が載ったNewsweek日本版4月8日号は好評発売中です!
]]>北京の弁護士、浦志強(プー・チーチアン、49歳)も「第7世代」として取り上げた47人の1人だ。浦について6年前の記事はこう紹介している。
消費者被害事件や、メディアの言論の自由にかかわる裁判を手がける北京の弁護士浦志強(43)は、今年の天安門事件記念日(6月4日)が近づいたある日、公安警察の車に乗せられ「6月3日と4日は家から出るな」と警告された。
公安が浦をマークするのは、その影響力ゆえ。浦はかつて、政府が取り締まらず被害が拡大した美容整形業者による有毒豊胸事件で、十数万人の中国女性を助けた。大学院生だった89年に民主化デモに参加し、処分された過去も関係あるだろう。
浦は天安門事件後の処分で教員として大学に残る夢を断たれ、就職を受け入れてくれる国の機関もなく、市場の経理などの職を転々としながら弁護士資格を取得した。彼にとって、弁護士は家族を養うための仕事にすぎなかった。歴史に翻弄された自らの人生を受け止めることができず、今も運の悪さを嘆くことがある。
それでも政府を刺激しかねない自由や人権に関する訴訟を引き受けるのは、他人の言いなりになどならないという価値観が根底にあるから。「誰の命令も聞かない。だから公安も政府も私をどうすることもできない」と、浦は言う。
47人の中には今も活躍を続ける人が多いが、正直「消えた人」もいる。その中で、浦は確実に「中国を変えてきた」といえる1人だ。08年に本誌が紹介した後も、ずさんな建築ゆえ四川大地震で学校校舎が相次いで倒壊し、多くの児童の死者が出た「おから建築」について調査していただけで逮捕・起訴された民間活動家、譚作人の弁護や、反政府的な言動ゆえに当局に巨額の追徴課税を課せられた現代芸術家アイ・ウェイウェイの訴訟代理人を務めた。
裁判も経ないまま市民を拘留、強制労働させる「労働教養制度」が昨年秋の共産党の重要会議「3中全会」で廃止されることになったが、この制度の問題点を指摘し続けたのも浦だった。最近、浦が重きを置いているのが、中国政府が弾圧する「新公民運動」の弁護活動だ。出稼ぎ労働者の教育機会均等や、政府高官の資産公開を求める新公民運動は、法律学者の許志永が12年に始めた。当局は昨年7月、許が街頭で横断幕を掲げ、ビラを撒いた行為をとらえて公共秩序騒乱罪で拘束。先月、北京の裁判所が5日間という異例のスピード審理で懲役4年の実刑判決を下していた。
胡錦濤主席と温家宝首相は(わずかながらとはいえ)期待された民主化や政治改革をほとんど実現できないまま、昨年春に表舞台を去った。中国政界のスターだった薄煕来の大スキャンダルを経て誕生した習近平政権は、労働教養制度の廃止など「アメ」をちらつかせる一方で、メディアや人権・民主活動家への「ムチ」を強めている。日本人が領土問題と反日デモに目を奪われているうちに、中国の人権問題は大きく変化しつつある。
そもそも新公民運動が要求していたのは、あからさまな民主化や基本的人権の保障ではない。北京や上海、天津など大都市の出身者は、都市住民の特権としてより低い点数で大学入試に合格することができる。米メディアが報じた通り、政府高官は当たり前のように経済的な特権を享受し、海外に資産を逃避させている。そういった特権を告発し、そもそも共産党が実現を目指すはずだった平等社会の実現を訴えただけで、なぜ懲役4年という重い刑に服さねばならないのか。
浦は先日、東京大学で開かれた討論会に出席するため同じく人権派として知られる北京大学法学部教授の賀衛方と共に来日。その際、都内で筆者の取材に応じた(写真)。
「共産党はこれまで、経済活動を伴う団体活動は認めてきた。税金を納めれば結社も許される、ということだ。その一方で経済活動を伴わない、いかなる政治的な結社の自由も認めてこなかった」と、浦は言う。「新公民運動への対応は習政権の基本的姿勢をはっきり示している。市民社会の開放の動きや結社の自由は認めないし、民間が自分たちのやり方で政治権力や利益の再配分をすることを許さない、ということだ」
習近平政権の政治状況は胡錦濤政権より悪くなっている――ただし、と浦は指摘する。「中国社会にはかならず『変数』が存在する。仮に習が中国社会を今よりもっと悪くしようと考えれば、社会から反発が必ず出る」。今回の許志永の一件では、(ネットでの)情報コントロールや異例の即決裁判そのものに多大なエネルギーが費やされた、これは習政権にとって必ずしも軽い負担ではない――。
とはいえ浦自身が「中国の歴史は1歩進んで2歩後退することの繰り返し」と認めるように、中国や共産党政府が一筋縄ではいかないのもこの四半世紀の歴史を見れば明らかだ。現に浦たちの努力で廃止に追い込まれた労働教養制度だが、麻薬リハビリセンターや精神病患者用の施設として、形を変えて生き残る可能性が最近指摘されている。人権や民主化のために活動する人たちを「精神的に問題がある人物」とひとくくりにして拘束するのは、一党独裁国家にとってはそれほど難しくない話だ。
浦たち中国の数少ない人権派は、89年以降も地道に中国政府の強引なやり方と闘ってきた。ただその一方で、共産党の率いる中国は半ば願望まじりで語られる無責任な「崩壊論」をよそに、人権や民主化にフタをしたままこの25年間で膨張を続けてきた。米金融大手ゴールドマンサックスの予測では、2050年にはアメリカ、インドそして中国が世界のGDPの半分以上を占めるようになる。その時、中国のGDPは既に斜陽のアメリカの2倍近い。もしその中国が、今のように人間1人1人の基本的人権を無視する超大国なら、われわれはこの国とどう向き合うべきなのか。
「まず忘れてほしくないのは、中国人民の権利が今も侵害されているということだ」と、浦は言う。「もう1つ忘れてほしくないのは、中国をそれほど悲観しなくてもいいということだ」。浦によれば、習近平が今やっていることは、彼の本心かどうか定かでないし、今のやり方を続けられるとも限らない。確かに人権、民主といったどんな社会でももつべき価値観をいつまでも押しとどめておくことは、中国人が豊かになればなるほど難しくなるだろう。
中国は必ずしも「共産党が一党独裁する大国」なわけでもない。「中国をきちんとまとまった1つの国として見るのは間違いだ」と。浦は指摘する。「東部の地方政府と西部の地方政府、漢族の政府と少数民族の政府......共産党の中でもさまざまな利益集団がある。習近平は調整を迫られ、自分の意見を通すのは必ずしも簡単でないはずだ。ある意味、アメリカや日本の政府と同じと言っていい」。加えて政府が無視できないネットの爆発的な影響力拡大もある。だから長期的には必ずしも中国の将来を悲観する必要はない、変化は必ず起きる――と、浦は言う。「辛亥革命の前に、いったい誰が清朝があんなにあっさりと崩壊すると思っていただろうか」
今年は日清戦争が起きて120周年、同じ「甲午」の年にあたる。当時の中国の宰相は李鴻章、現在は李克強と同じ李姓――不気味な一致だ。特に日本人は最近、中国の領土的・軍事的膨張に目を奪われ、中国国内の人権問題にかつてほど注意を払わなくなっている。「領土問題や南京虐殺といった歴史問題でなく、今の中国政府が新公民運動のような人権運動を弾圧していることを強く批判すべきだ」と、浦は言う。「日本政府はそれができる立場にある」
中国の北方人らしく身長180センチを超える長身で、さらに角刈りの浦はこわもてで一見、警察官や軍人と見分けがつかない。ただその語り口は辛らつながらユーモアと皮肉にあふれており、聞く側の気をそらせない。その巨大な身体と存在感は、かつての毛沢東や現在の習近平を思わせるほどだ。天安門事件で民主化運動の渦中に飛び込み、ハンガーストライキに参加した浦には、事件から25年経った今もあの初夏の熱気が漂っていた。そんな浦が今後の中国をどう変えていくのか、日本人はもっと注目していい。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
昨年リンカーンセンターで開催されたリチア・アルバネーゼ=プッチーニ国際声楽コンペティションの受賞者コンサートで、大西さんが会場の空気を一瞬にして支配するという場面に出くわした。コンサートに詰め掛けたのは、熱狂的なオペラファンや新進の若手声楽家をチェックしに来た音楽関係者といった面々。いわば「通な」観客たちが拍手やブラボーコールで自分の好き嫌いをそれとなく意思表示していくという、ガラコンサートといえどもコンクールの延長的な要素も垣間見られる音楽会での出来事だ。
1位入賞者である大西さんが登場したのは、2位のテノール歌手が『トスカ』のアリアを歌い上げて会場の盛り上がりが最高潮に達し、さあ1位はどうする?という雰囲気でのことだった。笑顔で舞台に登場してきた大西さんはバリトンの美声を発したその瞬間に、2位の演奏で熱を帯びていたその場の空気を一気に支配してしまったのだ。会場全体が興奮していた心をどこかに置き忘れ、大西さんの声に引き込まれる。そしてオペラ『ドン・カルロ』からの情熱的なアリア「私の最後の日」を聴き終えると、我に返った観客たちが惜しみない拍手を送る――そんな一幕だった。
耳の肥えたオペラファンの心をわしづかみにしてしまう28歳とはどんな人物なのか。ジュリアード音楽院にいる大西さんに会いに行ってきた。
リンカーンセンターに隣接するジュリアード音楽院は、世界屈指の名門音楽学校だ。ダンス、演劇、音楽の3部門を擁し、大学と大学院を合わせて45カ国から800人以上が在籍している。オーディションを始め厳しい選考を勝ち抜いた人しか入学を許されず、世間的には既に「プロ」の域に入る学生もいる。大西さんは武蔵野音楽大学・大学院を首席で卒業後、そんな「世界のジュリアード」に2011年、唯一の日本人として声楽科の大学院コースに入学。昨秋からは大学院卒業者のうち一握りしか進むことができないアーティスト・ディプロマ・コースに全額奨学金を得て進学している。
ジュリアードに入学後の大西さんは、わずか半年で声楽科全66人のうち上位2人に選ばれて「栄誉者リサイタル」に出演したほか、リチア・アルバネーゼ=プッチーニ国際声楽コンクール第1位、ゲルダ・リスナー国際声楽コンクール優勝、オペラ・インデックス・コンペティション第1位と名だたるコンクールで次々と入賞。今日2月19日からはジュリアードのオペラ本公演でチャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』にオネーギン役で主演する。今夏のサイトウ・キネン・フェスティバル松本オペラ公演のカバー(キャストが出演不可になった場合の代役)にも、小澤征爾さん直々のオーディションによって選ばれた。昨年オペラ指揮の大御所リチャード・ボニングに大西さんの評価を取材したところ冒頭の言葉で絶賛したところをみると、今やニューヨークのオペラ界で異彩を放つ日本人であることは間違いない。
■「寿命の長いオペラ歌手になりたい」
そんな大西さんだが、彼は音楽の英才教育を受けて育ったいわゆる「エリート音楽家」タイプではない。ピアノは4歳から習っていたし、中学と高校では吹奏楽部でチューバを吹いていたが、両親はクラシック音楽とは無縁の会社員。だが高校時代にオペラの曲を演奏したり音楽の授業でカンツォーネなどを歌ううち、クラシック音楽にはまっていく自分がいた。「声は音楽の起源。自分の体が音楽を発する」楽しさに目覚めていったという。
高3で初めて声楽の先生につき、武蔵野音楽大学の受験を決意。両親には音大受験を反対されたが、大西さんはホワイトボードに「なぜ音大に入りたいのか。入って何をどう勉強するのか」を理論立て書き出し、「演説した」という。「自分には明確な目的意識があった。英才教育を受けた音楽家というのは親の思いのほうが強い場合が多く、親のためだと途中で自分が何をやりたいのかを見失う。自分を見失ったときというのが一番怖い」
なぜ自分は歌うのか、なぜ音楽を学ぶのか。それがクリアだからこそ、上手くなるために必要なことは全力でやる。武蔵野時代にも「誰よりも練習した」という大西さんだが、ジュリアードに入学後は文字通り音楽漬けの日々が始まった。1年目のスケジュールを見せてくれたが、朝から夕方まで音楽理論や発音法、発声レッスンやオペラの演技指導、夜や週末は予習や歌の自主練習、オペラのリハーサルなど休む間もない多忙さだ。『エフゲニー・オネーギン』主演に向けては、ロシア語の歌詞に英訳を付けて意味を解読したり、プーシキンの原作を読んだり。「学者みたい」と言われることもあるそうだが、そんな孤独な作業を楽しんでやれるのは「人と音楽をシェアしたい」からだという。
「芸術家はみんな孤独だけど、みんな最終的には自分を分かって欲しいからやっている。楽譜は作曲家からの手紙で、演奏者は通訳だ。作曲家が楽譜に込めた世界を、自分を通して人に伝える。音楽は自分にとって、自分がありのままでいられる場所」
音楽が自分の居場所――そう言う大西さんだが、ジュリアードにもすっかり居場所を築いているようだ。授業が終わった校舎を訪ねると、すれ違う学生やスタッフたちが次々と彼に声をかけ、大西さんも流暢な英語で挨拶を返しながら笑顔でハグを交わす。そんな彼を見ていると、ボニングが大西さんの才能の1つとして「人間としてチャーミングなこと」を挙げていたのもうなずける。自分自身が「楽器」である声楽家にとって、人間的な魅力というのはもしかすると最も重要な資質なのかもしれない。
そんな仲間たちとも厳しい世界で生き残りを賭けて努力するライバル同士であることには変わりない。オペラ歌手にとってプロというのは狭き門で、ジュリアードの学生は道路を挟んで校舎の向かい側にあるメトロポリタン歌劇場を「道の向こう側(アクロス・ザ・ストリート)」と呼ぶそうだ。その道には見えない高い壁が立ちはだかり、卒業生のほんの少数だけが向こう側に行けるのだ。
とはいえ、ボニングに言わせれば「将来を約束されている」大西さん。向こう側への追い風を噛み締めているだろうと思いきや、本人は「ようやく麓に立ったかな、というところ」と至って冷静だ。「コンクールでの入賞は、才能の一角にあるということが証明されただけ。それが色々なきっかけを与えてくれることには違いないけれど、目標はコンクールでもメト(ロポリタン歌劇場)でもなくて、寿命の長いオペラ歌手になること。50歳でやりたい役、50歳じゃないと出来ないだろうな、という役もある」と言う。今日から演じるエフゲニー・オネーギンという役も、40歳くらいでやるものだと思っていたそうだ。
「音楽家は常に自分に満足しない民族。自分に100点をあげられる公演なんてない。何がダメか、自分でそれが分かる以上は前に進み続ける」という大西さん。「歌は自分をどこまで持っていってくれるんだろう」とも語る。彼が今後の長い人生で何を吸収し、それを音楽家として世界にどう伝えていくのか。それはきっと、彼の歌を聞いた誰もが楽しみにしていることだろう。
――編集部・小暮聡子(ニューヨーク)
]]>戦没者250万人の霊がまつられた東京の靖国神社。その最深部である本殿は、当日申し込みでも個人参拝できる。受け付け場所は拝殿横の参集殿。1月のある日の午後2時ごろ、筆者が受付の女性に個人で昇殿参拝したいと申し出ると、女性は申し訳なさそうに答えた。
40分後に再び参集殿を訪れると、男性と女性2人ずつの先客が待合室でビデオを見ながら参拝を待っていた。女性神職に玉串料を入れる申し込み用の封筒を渡されるが、「相場」が分からない。「どれぐらい入れればいいですか?」。ややうろたえながら聞くと、女性神職は手慣れた様子で「2000円から3000円以上が目安になっています」と、教えてくれた。
手水で身を清めた後、男性神職の後ろに続いて回廊を歩く。おはらいを受け、その後階段を上って本殿へ。基本的には、正面に明治天皇が西南戦争後に贈った大鏡が飾られているだけの本殿で、神職の祝詞に続いて玉串をささげ、二拝二拍手一拝する。しばらく黙とうしたあと、本殿から下がって回廊で盃にはいったお神酒を本殿に向かって飲み干し、待合室で「撤下品」という参拝記念品を受け取る。参集殿を後にするまで約20分。初の昇殿参拝は拍子抜けするほどあっさり終わった。
安倍首相の就任後初参拝、中韓両国の批判、加えて東京のアメリカ大使館が「失望」表明......と、靖国神社は昨年末、再び喧騒に包まれた。慰霊の場としての靖国と、聖戦を肯定し続ける靖国。2つの靖国には重なる部分もある。でも、完全に同じではない。見る者の立場、あるいは見る角度によって、「靖国」はその姿を変える。ただ聖戦を肯定する靖国はメディアで頻繁に報じられても、慰霊の場としての靖国が取り上げられることはほとんどない。
筆者の父方の祖父は戦争中に海軍に徴兵されたが、戦死はしなかった(終戦後、戦争の時にわずらった病気が原因で若くして死んだが)。戦没者の遺族でないのに昇殿参拝したのは、遊就館を見学して批判したところで、「慰霊の場」としての靖国の現場を知らないままでは、いつまでもその本質を理解できないと思ったからだ。
遊就館の展示内容が戦前の聖戦思想から一歩も出ないのは、ある意味当然だ。「天皇のために戦い、死んだ兵士」をたたえる神社本殿の傍らで、付属施設が「あの戦争は間違っていた」とささやき続けていては、死んだ家族に会いに来る大半の遺族はいたたまれない。その一方で、負けた戦争を美化する戦争博物館は世界でも遊就館ぐらいだろうから、遺族ら当事者以外、特にかつての交戦国に理解を得られないのもまたやむを得ない。
慰霊の中心である本殿から見た靖国神社は、拍子抜けするほど当たり前の場所だった。ただ千鳥ケ淵戦没者墓苑とは、決定的に何かが違う。1869年に東京招魂社として造られてから、今年で145年。日本の近代史、そして現代史の中心に位置してきた靖国神社には、日本人の複雑すぎる「思い」が降り積もっている。その役割は、ある意味人工的な千鳥ケ淵戦没者墓苑には代替できない。靖国神社を肯定するにせよ否定するにせよ、新たな国立追悼施設の建設議論が今ひとつ盛り上がらないのは、靖国に降り積もった日本人の「思い」が深すぎるから――そう感じた。
日本遺族会は昨年、1955年の結成以来初めて、参院選で組織内候補の擁立を断念した。理由は会員の高齢化だ。戦後69年が経ち、戦没者を知る直接の遺族は今後確実に減り続ける。86年にそれまで閉じられていた遊就館が再開したのは、78年にA級戦犯を合祀した故・松平永芳宮司の「新たな支持層」取り込みを目指す神社としての経営戦略だった、ともいわれる。靖国神社の直接の支持母体である遺族会の存在感が今以上に弱まり、「新たな支持層」の影響力がいっそう強まった時、靖国神社はなおも純粋な意味での慰霊の場であり続けるのだろうか。
1946年の宗教法人化、78年のA級戦犯合祀に続く「第3の変化の波」が靖国神社に近づいているのかもしれない。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
※発売中Newsweek日本版1月28日号は靖国神社特集。中韓がむき出しの感情をぶつけ、結果的に外交の道具になった「ヤスクニ」と、外国からの批判に惑わされ日本人が見失った慰霊の場としての靖国――「2つの靖国」の乖離について考えています。
]]>© 2012 Rohfilm GmbH, Lore Holdings Pty Limited, Screen Australia, Creative Scotland and Screen NSW.
主人公はナチス幹部の父を持つ14歳の少女ローレ。第2次大戦の敗戦後、両親は連合国軍によって拘束され、ローレは幼い妹や弟たちを連れて遠く離れた祖母の家を目指すことになる。混乱のただ中にあるドイツを子供たち5人で行く旅は当然ながら過酷だし、悲劇も避けられない。
ローレは旅の途中、ユダヤ人に対するナチスの残虐行為を初めて知る。さらに1人のユダヤ人青年と出会うことで、今までの価値観が少しずつ崩れていく――。
加害者も人間であり、それぞれの人生があるなどと訴えるものではないし、反戦を主張するものでもない。ただ少女が自らの境遇にどう立ち向かい、成長していったかを描くことに主眼が置かれている。映像の美しさにも助けられてその点はよく伝わってくるし、視点を転換させることの意義もよく分かる。
ローレのような境遇は遠い外国の話、という訳ではない。戦争犯罪人とされた人、その家族や子供は日本にも存在する。その1人が、父がB・C級戦犯として死刑に処せられた駒井修さん(岩手県盛岡市在住)。このブログの前の記事「祖父と私と『永遠の0』」と重複するようで恐縮だが、『さよなら、アドルフ』公開に合わせて駒井さんのトークイベントが行われたのでちょっと書いてみたい。
1月15日、明治学院大学の学生たちが企画したイベントのゲストスピーカーとして駒井さんが登場した。自らの体験を語り継ぐ活動をしている駒井さんは、話の前にいつも戦争の犠牲となった方々に黙祷を捧げていると話し、この日も10秒間の黙祷から始まった。
駒井さんの父は第2次大戦中、タイの捕虜収容所の副所長だった。捕虜たちは映画『戦場にかける橋』で有名な泰緬鉄道の敷設に従事させられたが、そこであるスパイ事件が起きる。駒井さんの父は、その取り調べで捕虜を拷問した(2人が死亡、6人が重傷)容疑者としてB・C級戦犯裁判にかけられ、46年にシンガポールで死刑になった。
A級戦犯を裁いた東京裁判のことはよく知られているし、例えば最近の靖国問題のようにたびたび話題になる。一方、イギリスやフランス、ソ連などがそれぞれ裁判所を設けてB・C級戦犯を裁いたことはそれほど知られていないと思われる。延べ5000人以上が起訴され、1000人ほどが死刑判決を受けたという(A、B、Cは戦争犯罪の種類の違いであり、罪の重さではない)。
「戦犯の子」として後ろ指をさされ、差別されることもあった駒井さんは95年頃から少しずつ父の死に関して調べ始めたという。07年には父に代わって謝罪をするため、父が重傷を負わせた元イギリス人捕虜のエリック・ロマックスさんをイギリスに訪ねた。ロマックスさんは遠い日本からやって来た駒井さんを「ごくろうさま」と何度もねぎらいながらも、「なぜ息子であるあなたが謝罪をするのか」と少し戸惑ったようだ。
それでも最終的には和解できたと、駒井さんは話す。さらに父の裁判で証言をしたロマックスさんは、「駒井ファミリーを不幸にしたのは俺だ」と謝ったという。
ある日本人を通して、駒井さんが訪問を打診してから7年が経っていた。ロマックスさん自身、面会することにかなりの葛藤があったようだ。ただ別れ際には、「いくら振り返っても過去は変わらない。未来のために生きていこう」と駒井さんに言葉を掛けたという。
トークイベントの冒頭、『さよなら、アドルフ』を見た感想を聞かれた駒井さんは「もしローレが今いたら、『77歳の私は自分の体験をこうやって話す活動をしています。あなたは何を思い、どんなことをしていますか』と聞きたい」とだけ答えた。子供の頃からずっと抱えてきた葛藤や苦しみを1本の映画の感想として、簡単に言い表せるものではないだろう。
ちなみに今年4月には、ロマックスさんの自伝を基にした映画『レイルウェイ 運命の旅路』が公開される。『さよなら、アドルフ』と同じように、戦争が1人の人間に与える傷の深さ知るきっかけになるのではないか。
幼い駒井さんたちを残して出征する前、父は「戦争に行きたくない」と泣いていたらしい。戦犯として処刑されたときの無念さはどれほどだったろう。
――編集部・大橋希
]]>1年前、ニューヨーク支局に赴任したての頃の私は店名に「ジャパニーズレストラン」や「スシ」と掲げながら日本ではまずお目にかかれない代物を出す「エセ和食屋」に腹を立ててばかりいた。
ニューヨークの和食ブームは引き続き飛ぶ鳥を落とす勢いで、道を歩けば和食屋に当たる。だがそのうち日本人が経営するなどの日系店となると数は絞られ、通りがかりのジャパニーズレストランに入ると中国人や韓国人が経営するアジア系の「なんちゃって」だったということが少なくない(日系かどうかを見分けるポイントの1つは味噌汁で、「れんげ」が入って運ばれてきたときは大抵アウト。「ミソスープ」という感覚だとれんげが入る)。
日系でなくても、(サービスに関しては百歩譲るとして)味が良ければ文句は言わない。だがこうしたエセ和食屋で出てくる料理は、少なくとも日本で出したら突っ込みどころが満載ということがほとんどだ。例えば、ニューヨークの和食屋ランチメニューにお馴染みの「照り焼きサーモン」弁当ボックス。日本で言うところの「塩鮭定食」的な位置付けだが、ほとんどの店で付け合せとして出てくる焼売や餃子は冷凍食品をチンしただけだし(冷たいこともある)、カリフォルニアロールの中身はカニカマ、アボカド、キュウリと海苔だけ。一度照り焼きサーモンが生焼けだったことがあり店員にその旨伝えたら、数分後に熱々になったお皿が運ばれてきた。サーモンは先ほど手を付けたままの形だし皿の上のわさびがカピカピになっているところを見ると、皿ごと電子レンジで温めたのが一目瞭然。日本ではなかなか出来ない体験に、これはもう笑うしかなかった。
そのため1年前の自分だったら、このほど発表された「和食がユネスコの無形文化遺産に登録される見通し」というニュースを「エセ和食ではなく本物の和食を世界に伝えるチャンス」と受け止めたかもしれない。要はかつて、海外で出回るエセ和食を憂いた農林水産省がまっとうな日本食レストランを「正しい和食」と認証する制度を構想したのと同じ発想だ。裏を返せば海外の「なんちゃって和食屋」をあぶり出すことになるこの制度は欧米メディアから「寿司ポリス」と大バッシングを受けて頓挫したが、当時の政府も1年前の自分も、根底にあったのは「本物の和食以外は迷惑」という幾分排他的な発想だったと思われる。
だが半年前、ニューヨークに海苔を卸している日本食材メーカーの駐在員さんの言葉を聞いてその発想が変わった。私が寿司ポリスさながらに「日本に行ったことのない人がエセ和食屋でお寿司を食べて『アイラブスシー!』とか言っているのは本当に残念。エセ和食に憤慨することはありませんか」と聞くと、「いやー、そういうお店のおかげで僕らは儲けさせてもらってますから」と一笑に付されてしまった。和食ブームで日本食材メーカーが儲かるのは分かるが、そのブームを下支えしているのは実は乱立するエセ和食屋のほうかもしれないというのは盲点だった。ニューヨーカーの中には、日本人経営の高級寿司屋に行ったことがなくても週1回は街角のデリでランチに寿司を買う、という人も少なくない。何であれ和食的な物が売れれば日本食材メーカーが儲かる――私が初めてエセ和食屋に感謝した瞬間だった。
06年の寿司ポリス騒動から7年、インチキ和食を敵視していた農林水産省もその存在価値を認め始めたのだろうか。政府は和食のユネスコ無形文化遺産への登録をきっかけに海外における和食ブームを後押しし、日本食材の輸出を拡大する構えだという。和食を日本の輸出産業として売り込もうというわけだが、輸出先として数では日系店より圧倒的に多いエセ和食屋は大口のお客様に他ならない。そもそも和食をユネスコ無形文化遺産登録に申請したきっかけは国内における日本人の和食離れであり、海外のブームにあやかって逆に危機に瀕した国内の和食を救おうというのだから、かつて寿司ポリスが取り締まろうとした和食屋にはますます頭が上がらない。
■「なんちゃって」が身近なきっかけに
とはいえ気になるのは、「何をもって和食と言うか」「日本が世界に売り込みたい和食とは何か」という点だ。
ユネスコに無形文化遺産登録されるのは「和食 日本人の伝統的な食文化」であり、ここでいう「和食」とは一汁三菜を基本的献立とするような日本の家庭料理だという。一方で日本で見かける「和食」と言ったらコンビニでも買えるカツ丼、そば、おでんなどから料亭で出される高級懐石、さらにはルーツを海外にもつラーメンやカレーライスまでさまざまだ。ユネスコの定義に透けて見えるのは日本で廃れつつある「古き良き和食」を復興させようという伝統回帰だが、この限定的な定義を輸出産業としての「和食」にまで当てはめてしまうと海外で和食への門戸を狭めることになりかねない。
例えばニューヨークで数年前から大人気の「和食」と言えばラーメンだが、ブームの火付け役となった「モモフク・ヌードル・バー」のシェフは韓国系アメリカ人だ。一部の日本人からはモモフクのラーメンは「異国風」だという辛口な声も聞かれるが、この店が外国人の間で人気になったことがきっかけで「日本のラーメン」に光が当たったこともまた事実。ではラーメンは本当に「和食」かと言えば起源は中国だが、日本人の中で「本物のラーメンを食べたい」と言っ て中国を目指す人はほとんどいないだろう。ラーメンはそれほど日本の食文化に深く根を下ろしているし、外国人のラーメンファンも「本物のラーメンは日本にあり」と思っている。ここではむしろ、「本物か」よりも「本場か」どうかという議論のほうがしっくり来るのかもしれない。
日本政府観光局(JNTO)によれば外国人観光客が「訪日前に期待すること」の1位は「食事」だというが、この大部分の人にとって和食との出会いがエセ和食屋だったとしても、日本の中にもイタリア人が食べたら怒りそうなピザ屋やパスタ屋があったり、そうしたピザや美味しいパスタを食べた日本人がいつか「本物」を食べたいとイタリアに行くように、「なんちゃって」がきっかけになればそれでいいのかもしれない。海外の「本物」の和食屋は日本の高級フレンチさながらに高額ゆえ、身近なきっかけになりにくいのに対してエセ和食屋は価格帯もお味に見合ったチープさのためより敷居の低い入口となり得る。(ちなみにニューヨークの日本人の間ではエセ和食屋よりも、高いくせに味は普通といった日系のぼったくり和食屋に対する風当たりのほうが強い)
そう考えると、ニューヨークではスシが日本でいうサンドイッチのように市民権を得、形を変えて人々の日常に溶け込んでいる様を見るのも悪くない。あとで知ったことだが実はアメリカ発祥の元祖カリフォルニアロールはカニカマ、アボカド、キュウリと海苔だけが主流だというから、私が日本で食べていた「サーモン入り」などのほうが日本でアレンジされた「エセ」だった。元祖カリフォルニアロールは生魚に抵抗がある外国人向けに考案されたことを考えると日本のサーモン入りは反則に等しいが、ご当地ウケを狙っての創意工夫だからそこはご愛嬌だろう。
和食が国境を越えて進化しすそ野を広げることは、歓迎こそすれ憂うべきではない。外国人が発見した和食の新たな魅力を、日本に持ち帰って再発見するのもいいだろう。既に政府は世界各地で日本食セミナーを行うなど積極的な和食輸出に乗り出しているが、こうした動きが日本から外国へという一方的なものに留まらず、未来のカリフォルニアロールを生む双方的な「和食交流」になることを期待したい。もちろん本音を言えば、海外に巣立った和食には味や質を落とさずに成長してほしいというのが親心なのだが。
――編集部・小暮聡子(ニューヨーク)