コラム

話題作『由宇子の天秤』に足りないのは? 春本監督に伝えたいこと(森達也)

2021年10月26日(火)20時35分
『由宇子の天秤』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<カメラは由宇子と共に動いてゆく。由宇子がいないシーンはほとんどない。徹底して禁欲的な手法は理解するが、見ながら不満がたまってゆく。志は大いに共感できるし、テーマも素晴らしいのに...>

見たほうがいいよと何人かに言われた。絶賛している友人も多い。だから見た。見終えて吐息が漏れた。感嘆の吐息ではない。微妙過ぎる仕上がりに漏れた吐息だ。

『由宇子の天秤』の由宇子は、女子高生と教師の自殺事件を追うテレビドキュメンタリーのディレクター。保身を優先するテレビ局上層部と対立を繰り返しながら、少しずつ事件の真相に近づいてゆく。しかし由宇子はある日、学習塾を経営する父が隠していた衝撃的な事実に直面する。それはまさしく、自分がいま撮っている作品のテーマに、際どく抵触する事態だった。

......ざっくりとストーリーを紹介した。ここまでは前半。後半ではドキュメンタリー制作と父親のスキャンダルに絡めて、由宇子は2つの嘘に翻弄される。

全編をとおしてカメラは由宇子と共に動いてゆく。由宇子がいないシーンはほとんどない。観客は由宇子と同じ視点しか与えられない。彼女がいないときに何が起きていたのか。その情報は提供されない。だからこそ由宇子が受ける衝撃を、観客も同じように体験する。

徹底して禁欲的な手法は理解する。でも見ながら不満がたまってゆく。その理由は分かっている。画が足りないのだ。一つだけ例を挙げる。なぜスマホで撮るシーンを見せながら、スマホの映像を見せないのか。それは些細なこと。でも映画の神は細部に宿る。由宇子の視点で終始するから、由宇子自身の悩みが分からない。伝わらない。映画は欠落を想像する媒体でもあるけれど、その欠落が露骨過ぎて想起させてくれない。

監督の意図は分かる。映画的作法を拒否したいのだろう。その思いは僕にもある。定型的なモンタージュに作品を埋没させたくない。ご都合主義のストーリーにはしたくない。謎や伏線が全て回収されることなど現実にはあり得ない。人の営みに矛盾や嘘はあって当然だ。

でもこれは現実ではない。映画だ。伏線は回収するべきだ。矛盾を放置すべきではない。少女のおなかの子供の父親は結局のところ誰なのか。なぜ由宇子は自分の父親だと確信できたのか。なぜ遠くの街で堕胎するという解決策を思い付かないのか。少女を嘘つきと断言した少年の言葉はどう回収すればいいのか。自殺した教師のスマホは真っ先に警察から調べられるはずだ。テレビ業界で「ドキュメンタリー監督です」と自称する人はまずいない。だいたい事件取材で、自殺した当人の姉にまでインタビューするという展開は無理筋過ぎる。メディア批判も表面的だ。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ

ニュース速報

ビジネス

ECBは政府と距離を、物価安定以外の目標は慎重に=

ワールド

国内初のオミクロン感染はナミビア外交官、同乗全員を

ビジネス

ユーロ圏CPI、11月は前年比+4.9%で過去最大

ビジネス

S&P、新生銀の格付け見通しを「安定的」に下方修正

MAGAZINE

特集:文化大革命2.0

2021年12月 7日号(11/30発売)

習近平が主導する21世紀の共産主義回帰運動 思想統制を強め孤立主義に走る、その真意はどこに?

人気ランキング

  • 1

    「米化」でブレイク オートミールにハマった人たちに起きた変化とは

  • 2

    半身を失った「ゾンビザメ」、10匹に共食いされてなお泳ぎ続ける:動画

  • 3

    一番人懐こいネコの品種は?甘え過ぎへの対処法は?

  • 4

    子供が欲しかった僕は、女友達と恋愛抜きで子供の「…

  • 5

    最初から「失敗」が決まっていたクロエ・ジャオ監督…

  • 6

    種を守るため1500キロ旅した偉大なハイイロオオカミ…

  • 7

    セブンイレブンに「来店」したクマ、感染症対策も欠…

  • 8

    韓国の新規感染者数が初の4000人超え。日本とは何が…

  • 9

    カリフォルニアで急増する野生動物と車の衝突事故...…

  • 10

    「朝、3分間、長波長の赤い光を目に当てると、加齢で…

  • 1

    一番人懐こいネコの品種は?甘え過ぎへの対処法は?

  • 2

    子供が欲しかった僕は、女友達と恋愛抜きで子供の「両親」になった

  • 3

    最初から「失敗」が決まっていたクロエ・ジャオ監督のマーベル映画『エターナルズ』

  • 4

    「米化」でブレイク オートミールにハマった人たちに…

  • 5

    あなたはいくらエクササイズしても痩せない 脂肪燃…

  • 6

    多数の難民を受け入れたスウェーデンが思い知った「…

  • 7

    ナイキのシューズがクリスマス、いや来年夏まで入荷…

  • 8

    半身を失った「ゾンビザメ」、10匹に共食いされてな…

  • 9

    勝海舟があっさり江戸城を明け渡した本当の理由 「無…

  • 10

    恋の情趣・風雅・情事 ── 江戸の遊廓で女性たちが体現…

  • 1

    【動画】リビングの壁を這う「猫サイズ」のクモ

  • 2

    一番人懐こいネコの品種は?甘え過ぎへの対処法は?

  • 3

    最初から「失敗」が決まっていたクロエ・ジャオ監督のマーベル映画『エターナルズ』

  • 4

    子供が欲しかった僕は、女友達と恋愛抜きで子供の「…

  • 5

    「可愛すぎて死にそう」ウサギを真似してぴょんぴょ…

  • 6

    「米化」でブレイク オートミールにハマった人たちに…

  • 7

    ネコはいつでも飼い主を思っていた...常に居場所を頭…

  • 8

    突然の激しい発作に意味不明の言葉──原因は20年前に…

  • 9

    あなたはいくらエクササイズしても痩せない 脂肪燃…

  • 10

    背中を売ってタトゥーを刻む『皮膚を売った男』の現…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

投資特集 2021年に始める資産形成 英会話特集 Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
Wonderful Story
メンバーシップ登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら
World Voice

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中