コラム

背中を売ってタトゥーを刻む『皮膚を売った男』の現実性

2021年11月16日(火)11時25分

さらに、タトゥーや入れ墨は、皮膚に傷をつけて色素で着色し、絵柄や線を半永久的に残す技法です。除去したい時は切除手術やレーザー照射など大がかりな施術が必要となり、しかも完全に元通りの状態に戻すのは困難です。

ちなみに、タトゥーと入れ墨の言葉の使い分けには厳密な定義はありません。比較的浅く彫ってアート性が高い洋風の柄をタトゥー、深く彫った和風の柄を入れ墨と呼ぶことが多いようです。刺青は入れ墨と同じ意味で使われますが、江戸時代にはなかった言葉です。彫物師を主人公とした谷崎潤一郎の小説『刺青(しせい)』が1910年に発表されて以来、刺青と書いて「いれずみ」と読むようになりました。

魔除け、美しさの象徴、個体識別、忠誠の証、罪人の烙印...

日本ではマイナスイメージが付きまとう入れ墨ですが、その歴史は繁栄と衰退の繰り返しでした。

入れ墨の風習は、縄文時代の土偶の顔面や身体に線が刻まれていることから、縄文晩期(3500年前頃)には始まっていたと考えられています。記録に残っているもので最も古いものは、弥生時代の倭人(古代の日本人)について書かれた『魏志倭人伝』(3世紀)で、「男子皆黥面文身」との記述があります。黥面とは顔の入れ墨、文身とは身体の入れ墨のことです。当時の入れ墨は、魔除けや呪術的な意味で施されていました。

けれど、6世紀に大陸から儒教が伝来すると、入れ墨文化は徐々に廃れていきます。儒教の思想では、身体を傷つけることを厭うからです。奈良時代から安土桃山時代までは、入れ墨はほぼ廃れます。とはいえ、アイヌ民族や琉球の人々の間では魔除けや美しさの象徴として、儒教と反目していた密教僧らは仏法への帰依の証とその加護を得る目的で、戦国時代の武士や漁師の間では住所や名前を個体識別のために入れ墨をするなど、入れ墨の技術は一部では継承されました。

江戸時代になると、遊女たちが馴染み客への愛の証に、相手の年の数をホクロのような形で入れ墨したり、相手の名前を「◯◯命」と身体に刻み込んだりする風潮が現れます。これらの流行は、やがて侠客にも忠誠の証として伝わります。その後、ふんどし一丁で仕事をする鳶や飛脚が着物の代わりに入れ墨を身にまとうようになり、図柄は大きく、複雑にとアートとして発展を遂げます。

いっぽう、8代将軍・徳川吉宗は1720年に、治安が悪化していた大都市の犯罪抑止力のために、中国の明王朝で行われていた黥刑(罪人に入れ墨を施す刑罰)を取り入れました。身体に消えない「罪人の烙印」を刻む際、罪人がどこで罪を犯したのかがわかるように、藩や地域ごとに入れ墨のデザインは異なっていました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

利上げの可能性、物価上昇継続なら「非常に高い」=日

ワールド

アングル:ホームレス化の危機にAIが救いの手、米自

ワールド

アングル:印総選挙、LGBTQ活動家は失望 同性婚

ワールド

北朝鮮、黄海でミサイル発射実験=KCNA
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ公式」とは?...順番に当てはめるだけで論理的な文章に

  • 3

    便利なキャッシュレス社会で、忘れられていること

  • 4

    「韓国少子化のなぜ?」失業率2.7%、ジニ係数は0.32…

  • 5

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 6

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 7

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離…

  • 8

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 9

    毎日どこで何してる? 首輪のカメラが記録した猫目…

  • 10

    ネット時代の子供の間で広がっている「ポップコーン…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人機やミサイルとイスラエルの「アイアンドーム」が乱れ飛んだ中東の夜間映像

  • 4

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 5

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 9

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 10

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story