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ヴィズマーラ恵子|イタリア

磯崎新のウフィッツィ美術館の出口プロジェクトいよいよ

ウフィッツィ美術館の外観(フィレンツェ ) Paolo Paradiso-iStock

「入り口に比べて、え?ここが出口?」というような殺風景で分かりづらい裏通りにあるウフィッツィ美術館の出口。
1998年にその出口の新建設のために国際デザインコンペティションが開かれ、日本人建築家である磯崎新(いそざき あらた)氏によるデザインがコンペで選ばれた。

それから、21年以上の月日が経っている。

2020年8月9日(日)21年間にわたる論争の後、ようやくイタリア文化遺産省によってフィレンツェのウフィッツィ美術館の出口の新建設Mibactの「大文化遺産プロジェクト」計画の決定が発表された。

文化遺産大臣ダリオフランチェスキーニが立ち上げた「大文化遺産プロジェクト」には11のプロジェクがあり、戦略計画の103,630,501ユーロで資金提供されている。この度、ウフィツィの磯崎ロッジアとサンタマリアノヴェッラのイタリア語博物館の建設についてGOサインが出たというわけだ。磯崎ロッジアの建設資金に1200万ユーロが当てられた。

| なぜ21年もかかったのか?

建設を着工しても、何度も頓挫する理由の1つが、"イタリアあるある"でもある、「地面掘ったら遺跡出てきた」であり、工事は遺跡調査で中断された。

そして、何よりこれが1番の原因であり理由であった。


「フィレンツェ市民と文化省大臣がお気に召さなかった」から・・・。

フィレンツェ市民は遠い昔から口厳しい事で知られている。良い意味で、美的教養と美意識が高く、美術評論には欠かせない能力の1つである"より良い批判力"を誰しもが持ち合わせて、優れた作品でも新作は必ず一旦、虚仮にする。

さすが街ごと全部世界遺産、花の都フィレンツェで暮らす市民だけあると感じる。イタリアでもフィレンツェ人のイメージは、"閉鎖的でよそ者を受け付けない。本音と建前を使い分ける。一見様お断り。"などがあげられる。

ご本人の磯崎新氏が「私の履歴書」 建築家 磯崎新#805-27 の中で、

フィレンツェにはロッジア(loggia)と呼ばれる、町に向かって開く屋根のかかった空間がある。このスタイルを現代の視点で解釈した私の提案がコンペで選ばれたのだが、十年たった今も着工できないでいる。アンビルトに一ページを加えることになるか。コンペ後に就任した文化省の大物役人がつぶしにかかったためである。バロック絵画の研究者でもある彼は「建築のカミカゼ」と題した誹謗(ひぼう)する論文を書き、読むに堪えない罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を新聞紙上にぶちまけた。だが私は修正したり、ひいたりするつもりはない。

と、コンペに優勝して十年たった2008年に、まだ着工できないでいる理由とその現状についてを掲載した。

プロジェクトを実行するかしないかの決定権を持っていた当時の文化遺産担当大臣は、ジュリアーノ・ウルバーニ。文化遺産担当大臣が市議会の過半数のグループリーダーを牛耳っており、反対をしていて同意をしていないため、磯崎新のウフィツィ美術館の出口プロジェクトを事実上阻止したと言われている。

イタリア元首相のマッテオ・レンツィは、首相になる前はフィレンツェ市長をしていた。レンツィは市長時代に、基本的には磯崎氏のウフィッツィ美術館出口ロッジアの実現に賛成をしていた。必ず約束を守るともラジオ・トスカーナで話した。しかし、実際はグランディ・ウフィツィ美術館という美術館の拡張計画があり、それを優先させ、拡張工事が終わった後に出口改造プロジェクトに着工したかった。予算を美術館拡張工事費用に回した。

iStock-458662617.jpg
フィレンツェのランツィのロッジア SoopySue-iStock

ウフィッツィ美術館の入場口は、アルノ川側からか、ヴェッキオ宮のあるシニョーリア広場を通り抜けて行く。シニョーリア広場の角には、有名なロッジア・デッラ・シニョリーア(別名:ランツィのロッジア、ランツィの回廊))がある。現在の裏手出口が磯崎案予定地でランツィのロッジアに近い。

磯崎氏のデザインもフィレンツェの巨匠のスタイルにインスピレーションを得たかのように、このロッジアのスタイルをベースにしたデザインの設計案で見事にコンペを勝ち取った。

フィレンツェの古典時代にあった反古典的要素を強調した「マニエリスム」建築を経て、今この21世紀に洗練されたモダニズムの磯崎スタイルが加わるのだ。まったく景観を損なう事なく、馴染み、融合されている。長いフィレンツェの建築史を簡潔に一体化したパノラマをそこで見る事ができるかのようだ。

22年前にされた設計デザイン案とは思えないほど、2020年の現在でも斬新で、凛とした東洋の簡素美。磯崎氏の言う"数十年、数百年長持ちする頑丈なコンセプト"は生きていて、まさにそれが証明されていると言えよう。

"フィレンツェの歴史とイタリア建築史を日本人建築家が繋ぐ"なんとも誇らしく素晴らしい事であるか。

私は、磯崎建築と共に生きてきた。

生まれて物心ついた時から、たまたま家の近所に美術館があったのでそこで過ごした。恵まれた環境で、絵本を見るより美術館で本物の絵画を鑑賞して育った。私の庭とも言える遊び場であったその北九州市立美術館は磯崎新が建築したものだ。勉強をするときも、本を借りるときも北九州市立中央図書館へ行き、家族で週末に出かける大きな展示会や国際見本市や食フェアー西日本総合展示場も、画材や雑貨を買ったり、パスポートの発行や更新の時に行った北九州国際会議場も、西日本シティ銀行も、社会人になって美術科教員として生徒作品を搬入しに行ったギャラリーもデートの待ち合わせ場のアネックスも、イタリアでは二番目の高さのミラノの新しい複合施設アリアンツタワーも 

"全て、磯崎氏が設計を手掛けた建築物"である。

私が受けた美術科教員採用試験には「北九州市立美術館を設計した建築家の名前を答えよ」という問題があったのを覚えている。回答できて当然のラッキー問題である。間違いようのない、いや、決して間違えられない答え:「磯崎 新」

こんなにたくさんの磯崎建築がある街も珍しい。どれほど私の身近なところに磯崎新建築が存在し、生活の中に浸透し、空間に癒され、感性を磨き、培う事ができたか計り知れない。偉大なる巨匠磯崎新氏には感謝しかない。磯崎建築が大好きである。

ウフィッツィ美術館の出口プロジェクトは、2024年クリスマスまでの完成を予定しているという。

現在、御年89歳になられる。イソザキ・ウフィッツィ・ロッジアの完成といつまでもお元気で益々のご健勝を心よりお祈りするばかりだ

 

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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