World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーの芸能界への最初のアプローチ

映画協会で行った養成所の卒業式の様子:弊社カメラマン撮影

皆さんこんにちは。
ヤンゴンより新町がお送りしております。
今回は、ワールドボイスを始めて最初の記事に書いていた過去にやっていた事の話を掘り下げてお話したいと思います。

まだ最初の投稿を見ていない方はそちらから読んでいただいた方がわかりやすいかもです。
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/shimmachi/2021/04/post-1.php

ミャンマーに来たのが2014年の7月。
そこから3カ月程でようやく生活には慣れてきたという感じがした頃でしょうか。
エンタメでどういう事をやっていくかと思案する日々でした。
その3カ月の間に、有名な歌手の方と会ったり役者の方とあったり、物凄いアンダーグラウンドのヒップホップのイベントに参加してみたりと自分なりにミャンマーの芸能界に触れてみました。

この国のエンタメを盛り上げるというビジネスをしていくのであれば、この国の芸能人たちと仕事をしていけるようにならなければ。
当たり前の事なんですが、先ずはそこからです。
じゃあどうすればこの国の芸能人たちと一緒に活動が出来るか。
勿論出来るだけ有名な方の方が活動としてはやりやすい。

最初に考えたのは芸能事務所をやることでした。
この国では例えば吉本さんやホリプロといった大きな芸能プロダクションは存在しません。
それっぽいものはありますが、どちらかというと日本で言う個人事務所みたいなものしかありません。
いわゆるタレントのマネージメントしているのが親族であったり、そうでないにしてもごく少人数での組織でやっている事しかありませんでした。
それは今でもそうです。

何故そうだったのかというと、近年の歴史上の問題もあります。
現在ミャンマーはクーデター禍という事で大変な事態に陥っていますが、少し歴史をさかのぼると2011年の民政移管前にはそもそも5人以上の組織を組むことが容易ではありませんでした。
人が集まると当時の軍政に牙を剥く存在になりかねないという事で当時はそういった組織が非常に組みにくいルールがあったり、組織化しようとする動きがあると密告が入るようなシステムを軍が作っていました。
なので会社組織であっても50人以上の社員を抱えてはいけないなどのルールもあったようです(実際は運用によって抜け道はあったようです、賄賂とか含め)

よくよく考えると芸能事務所というのは非常に組織と所属するタレントとの信頼関係が重要になってきますが、そもそも組織対個人が信頼関係を結ぶのに難しい政情があったんですね。
それがどのくらい芸能界に影響があったのかは想像する事しかできませんが、とにかく
2014年にはそういった組織は皆無でした。

じゃあそういった日本式の芸能事務所のシステムを取り入れてやっていこう!
と思ったのもつかの間、すぐに大きな問題にぶち当たります。
「そもそも私は日本の芸能事務所システムに詳しい訳でもなんでもない」
当然です、別に大手事務所の所属していた訳でも自分で運営していた訳でもありません。
次に
「そもそも実績も何もない自分たちの組織に所属しようというタレントはいない」
日本からそういうシステムを持ってきましたと言ったところで既に芸能界で活躍しているタレントさんたちが一緒にやってくれるはずもありませんでした。

しかし、恐らくですが、このまま芸能人同士がバラバラで活動している状態ではミャンマーの芸能界の発展は遅れるという予感はしました。
芸能活動に集中できる環境作りというのはやはり大事です。
それ以外の事にタレント自身が時間を取られれば取られる程パフォーマンスは落ちますし、そもそも仕事以外でのトラブルも増えます。

この状態ではいつか海外から黒船的に大手事務所が大きな資本を持って入ってきてしまったらどうなるのだろうか?
それがミャンマー芸能界の良い発展に繋がれば問題ありませんが、のきなみ美味しいところだけ持っていかれて沢山の才能が潰される事にならないだろうか?

色々考えた結果先ずは新人を育てていこうと思いました。
既に結果が出ているベテランをいきなり所属タレントにするというには私には力もお金も無さ過ぎたので、これから芸能界に夢を持っている若い人たちと新しいシステムを作っていくことが出来れば未来は明るいのではないか。
安易と言えば安易ですし、特に深い考察があった訳ではありませんでしたが、当時はわざわざミャンマーまで来ているのだからとやる気は有り余っていたのか、行動力だけはありました。

ミャンマー映画協会というところに赴き役員の方と話をさせてもらいました。
そこには芸能人の方に紹介してもらい「日本人が話したいと言っている」みたいに言ってくれたようでした。
私自身は本当にただの日本人で何者でもなかったのですが、わざわざ日本からミャンマーの芸能界を盛り上げようとしているという評価をもらって色々とミャンマーの芸能界の事を教えてくれました。

という事で俳優の養成所を手始めにすることにしました。
わからない事だらけでしたが、幸い沢山のミャンマー人スタッフがいたので彼らにも色々と協力してもらいながら進めていきました。
しかも、この俳優養成所は映画協会公認という形にしてもらえたのです。
実際、講師の方はこの時話を聞いてくれた役員の方やその他映画監督の方や俳優さんなどに協力してもらう事ができました。

あれよあれよという間に話は進んではいくのですが、しかし実際始まってみるとそう簡単ではありませんでした。
そもそも養成所で儲けようとは思わなかったので、運営自体、当分大赤字さえ出なければOKだと思っていました。
育てた新人の中から一人でもスターが出てくればその後は沢山の才能が集まってくるだろうと思っていたのでそこまで頑張れば。

しかし、私の目論見はこの後もろくも崩れる事になります。
様々なトラブルが毎日代わる代わる訪れる日々の始まりです。

続きます。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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