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スタートアップ超大国 インド~ベンガルールからの現地ブログ~

永田賢|インド

歴史からひも解くスタートアップ都市ベンガルール前編

Indian Institute of Science講堂写真、筆者撮影

スタートアップ超大国としてのインド、そしてその中核を成しているベンガルールですが、何もいきなりスタートアップ都市として発展してきたわけではありません。都市の発展史も深堀してみると意外と今まで知らなかった点が多く見つかり、その都市に対しての理解が深まりまるものだと感じました。

今回は、ベンガルールがどのようにしてスタートアップ都市として発展してきたのか、そのルーツを歴史からひも解いてみます。フレームワークとしては、マイケル・ポーター教授のクラスター理論を用いて、どのようにして、ベンガルールにイノベーションに必要な要素(研究・教育機関、企業、多様な人材)が集まっていったかを紹介します。

「クラスターとは、ある特定分野=[最終製品・サービス分野]において、相互に結びついた企業群=[最終製品・サービス販売企業-諸資源・部品・サービス等のサプライヤー-諸関連・流通チャネル-専門インフラ提供者-金融機関]と、関連する諸機関=[産業団体-規格団体-教育・研究・技術支援の諸組織(大学、シンクタンク、公設試、職業訓練機関、行政)]が近接して立地している状態=集積を指す。」(「ポーター・クラスター論について-産業集積の競争力と政策の視点-」長岡大学教授 原田 誠司、2009年 https://core.ac.uk/download/pdf/70371372.pdf より引用)

1.ベンガルール:軍事国家としてのルーツ、マイソール王国

世界史におけるインド史としては、インダス文明、カースト制度の変遷、ヒンドゥー教の教義、仏教と仏陀、ムガル帝国の歴代王朝、イギリスの植民地統治、現代史のガンディーとネルーの活躍といったトピックが皆さんの記憶に新しいでしょう。

実はベンガルールが位置する南インド地域も歴史をひも解くと、実は今に繋がる出来事が多くあるように見えます。その例がマイソール王国です。マイソール王国はベンガルールのあるカルナータカ州を中心に14世紀から20世紀にかけて南インドで強勢を誇ったヒンドゥー王朝(首都:マイソール)です。

特筆すべきは、大英帝国(今のイギリス)が植民地獲得のために、4回マイソール王国へ戦争を仕掛けて、そのうち2回マイソール王国が大英帝国に優勢を保っているということです。当時の大英帝国は世界最強クラスと言われていたので、彼らに対して優勢というのは凄いことです。

この時に、大英帝国軍に対して使われた兵器が「ティプースルタンのロケット兵器」です。大砲や小火器が主流だった当時に「ロケット兵器」を運用できるのは、それなりの統治体制と化学技術が振興されていないと無理だったでしょう。結果として、大英帝国の植民地支配下でも藩王国としてマイソール王国が存続することができ、ベンガルールが大英帝国の駐屯都市として発展していきました。

(バンガロールパレス、マイソール王国王によって建設、2019年筆者撮影)

2.タタ・グループによるIndian Institute of Scienceの設立

インドを代表する財閥企業のタタグループはジャムシェトジー・ヌッセルヴァーンジー・タタ(Jamshetji Nusserwanji Tata)が創始者です。19世紀から20世紀にかけて財閥グループとして成立していきました。日本人にとっては、グループ総帥のラタン・タタ氏が「私の履歴書」シリーズ(日本経済新聞)に寄稿されていたのが記憶にあるのではないでしょうか。

このタタグループによって、インドにおける科学教育振興のために、ベンガルールにインド最高峰の科学技術教育機関のIndian Institute of Science(IISc)が1909年に設立されました。このIIScですが、QS2021の世界大学ランキングでインド最高位となるくらい科学技術分野に強い大学です。元々マイソール王国の統治で殖産興業と科学技術振興(軍事的側面)が強かったのに加えて、教育機関も加わり、イノベーション都市の素地となる土台が出来上がっていったのです。

(Jamshetji Nusserwanji Tata像@Indian Institute of Science、2019年筆者撮影)

3.1947年独立後の宇宙・国防研究エリアとしてのベンガルール

1947年にイギリスから独立して、ベンガルールにあったイギリスの軍事拠点を継承する形でインドも宇宙・防衛研究拠点をベンガルールに設置しました。従って、以下の主要な軍事・宇宙系の研究機関、企業が集積しました。これらの研究機関、企業には優秀なエリートがインド全土から集まるようになり、人材の幅が増えていったのです。

【機関のリスト】

この前編では、ベンガルールのイノベーション都市としての素地を紹介しましたが、続く後編では、この素地がどのようにしてベンガルールをスタートアップが多く集まる都市にしていったかを現代までさかのぼって歴史をひも解いてみます。
 

Profile

著者プロフィール
永田賢

Sagri Bengaluru Private Limited, Chief Strategy Officer。 大学卒業後、保険会社、人材系ベンチャー、実家の介護事業とキャリアを重ね、2017年7月に、海外でのタフなキャリアパスを求めてYusen Logistics India Pvt. Ltdのベンガルール支店に現地採用社員として着任。 現地での日系企業営業の傍ら、ベンガルールを中心としたスタートアップに魅せられ独自にネットワークを構築。2019年4月から日系アグリテックのSAgri株式会社インド法人立ち上げに参画、2度目のベンガルール赴任中。

Linkedin: https://www.linkedin.com/in/satoshi-nagata-42177948/

Twitter: @osada_ken

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