World Voice

アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

「タンゴの破壊者」アストル・ピアソラ生誕100周年


ブエノスアイレスから遠く離れた、アルゼンチンの落ち着いた田舎町に数日間滞在した帰り。飛行機でブエノスアイレスへ戻り、空港の外へ一歩出た瞬間に、タクシープールに止まっている運転手たちが大声で叫びながら喧嘩し、不機嫌にクラクションを鳴らしまくっているのです。田舎町での束の間のメルヘンなモードに浸っていた私は、頭をガツーンと打たれたような気分で、一瞬で神経が緊張し、
「ああ、ブエノスアイレスに戻ってきてしまった・・・」と共に
「これがピアソラの音楽の"ブロンカ"だ。」と確信したのでした。



ブエノスアイレス都市部では、帰宅ラッシュ時以外にも、デモ行進や道路工事による渋滞がよく起こります。その際のクラクションの大合戦、窓を開けての文句の言い合いはブエノスアイレス名物とも言えます。アルゼンチン人を見ていると、喜怒哀楽がはっきりしており、感情をあらわにする場面はよく見かけます。理性よりも本能で動いているなあと思うことも多くあり、それは場面によっては羨ましくもなるほどです。渋滞はひとつの例ですが、このような"都会の喧騒"、"感情をむき出しにする様子"はピアソラの音楽に色濃く反映されており、ピアソラの音楽を理解するためのヒントのひとつになるのではないかと思っています。



余談ですが、ブエノスアイレスに来る前の私は怒りの感情が湧き上がることがあまりなく、ピアソラの音楽を演奏する前夜にはお肉を食べて意識的に自分の中の獣モードを呼び起こそうと試みたりしていました。(果たして意味があったかは不明、練習後のお肉が美味しかったことは確かです。)しかしこの町には頭に血が上るような出来事が多くあり、私でも怒り心頭に発することがままあります。そんな時に弾くピアソラは、自他共に認めるほど良い演奏になるとかならないとか・・・。


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(近所のお肉屋さん兼八百屋さんのシャッターに描かれたピアソラのイラスト・筆者撮影)



ピアソラ自身、街や人々の様子が音楽に反映されることは意識していましたが、そのファーストインプレッションは、ブエノスアイレスではないようです。ピアソラは、実は幼少時をニューヨークで過ごしており、その街で感じた印象が強く残っていると言います。

「その町はバイオレンスだった、貧困と暴力があったからね。私はそれを見ながら成長した。やくざ者同士で喧嘩して、盗みと人が死ぬことは日常茶飯事だった。
でも、ニューヨークでの日々は、その先にあったものが感動的に素晴らしかったんだ。
それは何かって、アル・ジョルソンやジョージ・ガーシュインが自分の家のある角のバーで演奏していたんだよ。その街で見たもの全てが、今の自分の音楽や、人生、価値観に焼き付けられているね。」
("Astor" Diana Piazzolla より)



そう、その作風にジャズの要素が織り込まれるのは、必然だったのです。
そんな幼少期を経て、どのようにタンゴと出会っていったのでしょうか。

Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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