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森田早紀|オランダ

2019年、最高裁の判決により「窒素危機」に陥ったオランダの今

(筆者撮影 2020年7月 オランダの早朝、草原で)

数年前から予兆は表れていた。

ヘザー畑に蔓延るイネ科の植物。川や湖の酸性化。野鳥の卵の殻が柔らかくなる現象。

だが窒素危機は、生物の大量死でも汚染による健康被害でもなく、2019年の一つの判決を機に、突然起こった。

それ故に3万弱 から7万人分の雇用が失われると計算する機関もあった (NOS, 2019)(ABN AMRO, 2019)。

今回の記事では、窒素危機に陥ってしまった背景と、それに対応するために今年施行された新・窒素法を紹介する。

窒素を輸入しては自国に投棄する

貿易志向型のビジネスモデルを確立したオランダでは、特定の作物や家畜に特化した、生産性重視の農業が発展してきた。オランダ西部での最先端技術を駆使したガラス温室栽培、北部の酪農、前世紀にできたばかりの干拓地での根菜・穀物栽培。九州と同じくらいの面積にしながら、農畜産物の輸出額はアメリカに次ぐ世界二位を誇る農業大国だ。

これほど集約的で特化した農畜産業を可能にするためには、限られた国土で生産するには割に合わない資源を他国から輸入する必要がある。例えば、家畜の濃厚飼料となる大豆やトウモロコシ、その他穀物。オランダの畜産業を支えるためにこれらは大量輸入されている。

タンパク質源というだけあって、含まれる窒素量は多い。家畜はその餌を食べては糞尿を排泄する(人間と同じ)。その排泄物にも、窒素は多く含まれている。言い換えれば、オランダは窒素を輸入しては自国に投棄している訳だ。これが自然界への過剰な窒素負荷の原因の一つだ。

窒素負荷が大きいと何が悪いの?と思う方もいるかもしれない。窒素N2は大気中にあふれているし、窒素分は適量であれば植物の成長を支え促す等重要な役割を果たす。だが窒素負荷が大きいと、酸性雨・酸性土壌、窒素を好む雑草の繁殖、植物の栄養吸収の阻害などの原因となる。以下の動画も参考にしていただきたい。

そして窒素負荷が、ある量(モル/ヘクタール/年)を超えると、それによる自然環境の退化が無視できなくなる閾値があるとされている。この値は場所によって異なる。下の棒グラフは、その値を超えたオランダの陸地表面積の割合を示している。1990年代・2000年代前半と比べ、大幅に超えている割合(濃い水色)は減少してはいるが、閾値以下を表す緑の割合は増減を繰り返しているだけで、相変わらず改善していると言えない状態であるようだ。

WUR 2018 jaar.png

(オランダの陸地で窒素負荷の閾値を超えている表面積の割合。灰色は影響を受けない地域、緑は閾値未満、水色が濃くなるほど閾値を超えた値(㎏/㏊)が多くなる。出典:CLO, 2020)

単なる数値だけでなく、オランダの自然環境そのものにも窒素負荷の影響が表れている。下のグラフが示すのは、窒素負荷に影響を受ける陸地環境の状態だ。特にBos:森とHeide:泥炭地、Open duin:砂丘の状態は悪い(赤が多い)。

WUR 2018 per landnatuur.png

(陸地における、自然環境の状態。緑は良、黄色は普通、赤は悪、灰色は影響を受けない。横棒グラフは上から森、  草原、泥炭地、砂丘、湿地。出典:CLO, 2020)

これらの問題を受けて、オランダ政府は2015年7月にPAS(Programma Aanpak Stikstof:窒素アプローチプログラム)を導入。環境への窒素負荷を減らし、自然環境の改善と経済成長を図るものだ。

具体的な方策は、

窒素負荷が大きいNatura 2000指定地(下記参照)での自然再生を図ること。
例:窒素除去(草刈りをし、草と共にその場から窒素を取り除く、水文学的手段など)

Natura 2000に行き着く窒素の量を減らすこと。
例:家畜小屋におけるアンモニアの排出制限の強化

Natura 2000とは、EU・欧州連合が定めた自然保護区のネットワークだ。EUの陸地の18%と海洋の8%がこれに指定されている。基にはThe Birds Directive (鳥類指令)とThe Habitats Directive (生息地指令)があり、それぞれ500の鳥類、そして1000の動植物及び200の生息地の保護を義務付けている。これらの生物と生息地の長期的な生存を保証するのが目的だ。具体的な方策は、加盟国それぞれが科学的データに基づいて決める。

Natura 2000 NL.png

(オランダ国内で指定されたNatura 2000 オレンジは鳥類指令の対象地、水色は生息地指令、緑は両方。出典:EEA, 2020)

オランダでは、Wet natuurbescherming(自然保護法。2015年12月公布)が自然保護方策の一部をなしていて、Natura 2000指定地に悪影響を及ぼす可能性のある活動を行う際には、許可が必要としている。

その許可の根拠となるのが、PASだった。

しかし...

2019年5月29日、オランダの国務院(最高裁に相当)は、これはEUの生息地指令に反しているとして、仕組みを否定する判決を下した。

PASは、その取り組みによって窒素負荷が将来減少するであろうという仮定の下で、窒素を排出する活動に許可を与えていた。窒素負荷の減少は不確定かつ将来の事であるのにも関わらずに。

この判決を受けて、PASに基づいて許可申請をしていたプロジェクトは一時停止となり、別の方法で許可を受けなければならなくなった。建築業界では約1万8千のプロジェクトが一時停止となり、冒頭で数字を挙げたような数の職が失われるとされた。

そして今年、新たな法律が制定された

それから約2年経った2021年7月1日にWet stikstofreductie en natuurverbetering(窒素削減と自然環境改善に関する法律。一般名称はStikstofwet :窒素法)が施行された。

窒素負荷に影響を受けやすい、Natura 2000指定地において、窒素負荷量が閾値を下回る場所の割合が

2025年には40%以上;2030年には50%以上;2035年には74%以上

であること。これを結果の義務とした(行為の義務、努力義務とは異なる)。ちなみに現状は24%である(2018年時点 RIVM, 2020)。また、窒素削減及び自然環境改善を図る計画は、農業・自然・食品品質大臣が制定するものとした。

農業だけでなく、交通・工業・インフラ・建築を含む様々な部門が、それぞれ努力し、そして協力する必要がある。家畜小屋の改修工事や離農、窒素排出が少ない建築技術の活用等を支援する予算も、何億ユーロという単位で部門ごとに充てられている。

窒素法には複数の深刻なリスクがあると指摘した研究が早速PBL(オランダ環境評価機関)から提出された。
オランダの酪農家たちは、農業部門への風当たりが強いとデモを行った。

窒素をめぐるオランダの混乱は終わらないようだ。今後の記事で、窒素法のリスクや農家によるデモについても解説出来たらと思う。

関連記事

牛乳を大量消費する世界のトイレと化したオランダ 2020年10月掲載 (集約型酪農における排泄物が深刻な窒素汚染を引き起こす)
犯罪の温床は糞尿の山(オランダの酪農 続編)     2020年11月掲載 (あふれる家畜の排泄物をめぐる犯罪)
オランダ、知らぬ間にガチョウ産業を興す 2020年11月掲載 (その理由は農業や自然保護)

参考文献

ABN AMRO, 2019. Headlines | Stikstof-uitspraak zet 70.000 banen in de bouw op de tocht
BC, 2019. Gevolgen van de stikstofcrisis voor de bouwbranche
CLO, 2020.  Geschiktheid stikstofdepositie stikstofgevoelige landnatuur. 2018
EEA, 2020. Natura 2000 Birds and Habitat Directives. 2019
NOS, 2019. Stikstofcrisis raakt veel meer bedrijven: 'Onze frustratie is enorm'
RIVM, 2020. Stikstof-reductie opties effectiviteit en streefwaarden
(文中にリンクタグ付けしたものを除く)

 

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著者プロフィール
森田早紀

高校時代に農と食の世界に心を奪われ、トマト嫌いなくせにトマト農家でのバイトを二度経験。地元埼玉の高校を卒業後、日本にとどまってもつまらないとオランダへ、4年制の大学でアグリビジネスと経営を学ぶ。卒業後は農と食に百の形で携わる「百姓」になり、楽しく優しい社会を築きたい!オランダで生活する中、感じたことをつづります。

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