赤ちゃん「泣いてもいいよ」は口で言おう──ステッカーまかせで失われる自然なコミュニケーション
全国の自治体などが配布している「泣いてもいいよ!」ステッカー HISAKO KAWASAKI-NEWSWEEK JAPAN
<「泣いてもいいよ」ステッカーは、外出時に泣きやまない赤ちゃんと頭を悩ませる親の救世主にはなり得ない。その理由は?>
8月中旬に突然、フランス人の同僚からメールが来た。「この仕組みをどう思う?」という質問で、新聞記事が添付されていた。記事の見出しは「赤ちゃん『泣いてもいいよ』ステッカー広がる」だった。
私はフランス人で、子供が2人いる。長男は7歳で次男は2歳。当然、日本での子育ての問題に非常に関心がある。電車やお店で子供が泣くと、言うまでもなく困ってしまう。どうすれば泣きやむかは全ての親の悩みだろう。周りの人が理解してくれれば、ある程度安心しながら冷静に子供の要求に対応できる。親が安心しない限り、赤ちゃんは泣きやまないものだ。
では、どうしたら周りの人の理解が得られるか。その1つの答えとして登場したのが「泣いてもいいよ」ステッカーだ。赤ちゃんが泣いてパニック状態になった親に、「泣いてもいいよというメッセージ」を伝えるのはとてもいいことだと思う。ただ、なぜステッカーが必要なのだろう。スマートフォンの裏に貼ったステッカーで伝えるのはふさわしいことだろうか。私は、そうは思わない。
なぜなら、人間には口でコミュニケーションする能力があるからだ。相手を見ながら「泣いてもいいよ」と口で言うのが、間違いなく最も安心させる方法。親が安心したら、赤ちゃんも安心できる。赤ちゃんは周りの人々の行動にとても敏感だから。
「泣いてもいいよ」はそもそも赤ちゃん向けのメッセージだ。でも大人がステッカー経由でコミュニケーションをしてしまったら、赤ちゃんには分からない。それに、自分のスマホにステッカーを貼った人は、ステッカーがあるから何も言わなくていい、自分の役割はもう果たしたと思ってしまうリスクがあるのではないか。
逆に、ステッカーを貼っていない人はイライラしているのではないかと、親が不安を感じてしまうこともあり得る。
LGBT(性的少数者)の問題も同じではないか。最近、一部の企業はLGBTに対する差別をなくす対策を取っていて、その1つとして社員が「LGBT Ally」と書かれたステッカーを自分のパソコンに貼る仕組みがある。LGBTの人に、「私はAlly(支持者)で、差別しない」というメッセージを伝える方法だが、本音は違っても、圧力を感じてステッカーを貼る人もいるだろう。