コラム

自転車の旅が台湾で政治的・社会的な意味を持つ理由

2016年11月21日(月)11時14分

「認識台湾=環島」のきっかけとなった映画

 最初に「自転車で台湾を走る」という行為が台湾社会に大きな反響を呼んだのは、2007年に『練習曲』という映画がヒットしたときだった。この作品は、主人公で声の不自由な若者が台湾を一周するドキュメンタリータッチの映画なのだが、内容的には単調なものであるにもかかわらず、多くの若者から熱狂的に支持された。当時、台湾で新聞社の特派員をやっていた私は、そこに「認識台湾(台湾を知る)=環島」というテーマを感じ取って注目した。

 この映画が一つの流れを作った。映画『練習曲』を観た台湾の自転車メーカーGIANTの創業者である劉金標会長が感動し、当時73歳という高齢にもかかわらず、映画の若者のように台湾一周にチャレンジして成功。これも当時の台湾社会では大きな話題となり、「環島」が一つの流行語になった。このときは15日間で一周を達成した劉会長は、80歳になった2014年に環島の再チャレンジを行ない、完走に要した日数を12日間に縮めている。

 社会にとって意味を持つものは、政治にも意味を持つものだ。自転車に乗るという行為は政治家たちも引きつけるようになった。

 2007年、台湾の総統選挙に立候補していた馬英九は、台湾南部から台湾の最北端まで自転車で走り抜ける南北縦断にチャレンジした。台北育ちのエリート政治家ではあったが、北部とは支持層や文化も異なっている中南部の票開拓が課題となっていた馬英九は、自転車を走らせながら、各地の民衆と触れ合うことによってこうした欠点を補い、台湾全土を理解している政治家というイメージを造り上げようとしたのである。

 さらには、医師であり、素人政治家として予想外の形で2014年に台北市長に当選した柯文哲も自転車によって台湾南北の縦断を行なうなど、政治家にとって自転車を走らせることが、人気獲得のパフォーマンスとなっている。

 政治が動けば予算がつく。予算がつけばインフラが整備される。台湾では、いまあちこちの道路に「環島一号線」という焦げ茶色の看板が掲げられている。これは台湾を一周する際に使用を推奨される道路だ。馬英九政権時代に整備が進み、ブルーライン化(青い線を引いて目的地までの距離などを書いたもの)がほぼ完成されている。実際、自転車で走っていても、車道と自転車道はほぼ完全に分離されており、自動車に追い立てられるという、日本では当たり前のストレスがほとんどなったことが、この自転車の旅のなかで大きな驚きでもあった。やはり、政治=行政が動くと、社会の変化は徹底されるのである。その意味では台湾で「環島」がいい意味で政治化された意義は大きい。

【参考記事】ママチャリが歩道を走る日本は「自転車先進国」になれるか

背景には台湾アイデンティティの普遍化

 現在、自転車による環島には、常時数百人がチャレンジしており、台湾だけでなく、香港、中国、シンガポール、韓国からの参加者も増えている。スポーツやレジャーのスタイルとしてしっかりと定位置をつかんだ感がある。

 こうした「環島」の盛り上がりを理解するには、台湾社会の特殊な背景を知らなければならない。

プロフィール

野嶋 剛

ジャーナリスト、大東文化大学教授
1968年、福岡県生まれ。上智大学新聞学科卒。朝日新聞に入社し、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長(2007-2010)、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾でも翻訳出版されている。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)『銀輪の巨人』(東洋経済新報社)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団』(ちくま文庫)『台湾とは何か』『香港とは何か』(ちくま新書)。『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米GDP、第1四半期は+1.6%に鈍化 2年ぶり低

ワールド

米英欧など18カ国、ハマスに人質解放要求

ビジネス

米新規失業保険申請5000件減の20.7万件 予想

ビジネス

ECB、インフレ抑制以外の目標設定を 仏大統領 責
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP非アイドル系の来日公演

  • 3

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 6

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 7

    やっと本気を出した米英から追加支援でウクライナに…

  • 8

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 9

    自民が下野する政権交代は再現されるか

  • 10

    ワニが16歳少年を襲い殺害...遺体発見の「おぞましい…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story