コラム

MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(3)─中央銀行無能論とその批判の系譜

2019年08月01日(木)16時30分

metamorworks -iStock

<MMT派と正統派とは、基本的に水と油にように混じり合わないマクロ経済思考の上に構築されている。しかし、反緊縮正統派の側からは時々「少なくともゼロ金利であるうちはMMTと共闘できる」といった発言が聞こえてくる。それはなぜか......>

●前回の記事はこちら: MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(2)─貨幣供給の内生性と外生性

MMT(現代貨幣理論)の主唱者たちによれば、MMTと正統派の最も大きな相違の一つは、前者が貨幣内生説であるのに対して後者は貨幣外生説を信奉している点にある。しかしながら正統派にとってみれば、貨幣内生と外生の相違は、単に現実を理論化する場合の抽象の仕方の相違にすぎない。実際、近年のニュー・ケインジアンのモデルも含めて、ヴィクセルに発する系譜のモデルは基本的にすべて貨幣内生である。

正統派にとっては、本質的な対立点はまったく別のところにある。それは、貨幣供給の内生性を強調する議論は一般に、利子率の外生性を絶対視する「同調的金融政策」の是認ないしは擁護に陥ってしまう点である。それが、「中央銀行には経済が必要とする貨幣を供給する以外にできることは何もない」という中央銀行無能論である。

その立場は、古くは真正手形主義(Real Bills Doctrine)と呼ばれていた。ランダル・レイの1990年の著作 Money and Credit in Capitalist Economies: The Endogenous Money Approachでの学説史的整理が示すように、ポスト・ケインズ派の内生的貨幣供給論は、まさしくその系譜の上にある。当然ながら、MMTによる「赤字財政の拡張によって貨幣(ソブリン通貨)の拡張を誘導する」という政策戦略も、その延長線上にある。

以下でみるように、正統派はこれまで、この同調的金融政策を厳しく批判してきた。というのは、インフレやデフレを伴う貨幣的な攪乱の背後には、必ずといってよいほど、この同調的金融政策が存在していたからである。その政策批判の系譜は、19世紀初頭のリカードウから19世紀末のヴィクセル、さらには20世紀後半の日本にまで及んでいる。

ヴィクセルの不均衡累積過程

経済学の展開の中で、同調的金融政策の持つ問題性を最初に理論的に明らかにしたのは、クヌート・ヴィクセルである。それが、ヴィクセルの主著『利子と物価』(1898年)で展開された、不均衡累積過程の理論である。

ヴィクセルのそもそもの発想は、少なくともその出発点としては内生的貨幣供給派ポスト・ケインジアンと同じであった。というのは、「古典派の中心的な物価理論である貨幣数量説は、中央銀行が貨幣をどのように供給するのかを無視しているため、現実の適切な近似になっていない」というのが、自らの理論を導くに際してのヴィクセルの問題意識であったからである。

ヴィクセルは、社会で実際に用いられる貨幣が、数量の限られた貴金属ではなく、帳簿や証書上にのみ存在する簡単に創造可能な「信用貨幣」である以上、物価理論もその前提に基づいて再構築されるべきだと考えた。その信用貨幣は、中央銀行から民間への信用供与を通じて供給される。したがって、「貨幣供給は中央銀行が外生的に設定した利子率に対する民間の資金需要によって内生的に決まるように定式化されるべきだ」というのが、ヴィクセルの基本的な発想であった。この図式は、まさしく内生的貨幣供給派ポスト・ケインジアンの水平主義そのものである。しかし、同じなのはここまでである。

この「利子率外生、貨幣内生」の水平主義世界では、中央銀行は確かに貨幣供給量をコントロールはできないが、利子率は「勝手に」決めることができる。というよりも、中央銀行はとにかく利子率をどこかに決めなければならない。

例えば、毎年5%成長している経済で、中央銀行が利子率を2%に設定したとしよう。成長率が5%ということは、銀行から資金を借り入れて投資を行った場合の収益率もほぼ5%程度と考えることができる。それは、中央銀行が利子率を2%に設定した場合、民間の人々は2%の投資コストで5%の収益を得られてしまうことを意味する。こうした状況が続けば、民間の資金需要そして貨幣供給は無制限に拡大していくことになろう。その結果は、仮に貨幣数量説を前提とすれば無制限のインフレである。中央銀行による信用貨幣の供給は「帳簿上の操作」のみで可能なのであるから、それを制約するものは何もない。同様に、中央銀行が利子率を過度に高く設定した場合には、逆のメカニズムを通じて累積的な貨幣収縮とデフレが生じることになる。

それでは、インフレにもデフレにもならないようにするためには、いったいどうすればよいのであろうか。その答えは、「中央銀行が利子率をインフレもデフレも起きないような水準に設定する」である。そのインフレもデフレも起きないような水準の利子率が、ヴィクセルが定義する「自然利子率」である。この率は、長期的には経済成長率に収斂する傾向を持つと考えられるので、上の設例では5%程度である。しかし、現実の経済では、自然利子率それ自体が失業率や設備稼働率を含むさまざまな循環的要因に左右されるため、中央銀行が設定した利子率が本当に自然利子率に適合したのか否かは、基本的には事後的な物価動向によってしか分からない。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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