コラム

「日本学術会議」任命拒否騒動に見る国家と研究者の適切な距離

2020年10月06日(火)12時53分

菅首相の任命拒否は制度的に正当か否かが問われているが、問題はそれだけではない Carl Court/REUTERS

<今の学術会議は「研究者の代表」というより「研究者の貴族院」であり、大多数の研究者とも無縁の存在になってしまっている。国家と研究者の関係を考える時、学術会議の本来のあり方も問い直すされるべき時だろう>

日本学術会議が推薦した6名の任命が、菅新内閣によって拒否された。インターネット上では多くの研究者がこれを政府による「学問の自由」への侵害である、として反発する声を挙げ、新聞各紙もこの問題を大きく取り上げるに至っている。

しかしながらこの問題に対してインターネットやメディア上で行われている議論は、お世辞にも整理されたものだとは言えない。

この問題の本来の焦点は、内閣による任命拒否を巡る手続き的な正当性にある。日本学術会議法では、この点について「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」ものとしており、この内閣総理大臣の「任命」に纏わる権限の範囲について、様々な議論が巻き起こっている。

既に報じられている様に内閣法制局がこれを内閣総理大臣が推薦を拒否する権限を持つものと解釈する一方、この「任命」は──例えば天皇が内閣総理大臣を国会の「指名」に基づき「任命」するように──飽くまで形式的なものに過ぎず、総理大臣が自らの意志によって任命を拒否する事を予定するものでない、という意見も出るに至っている。また、任命拒否に際して、その理由を明らかにしない事の不適切性を問う声もある。つまり首相は自らの決定に伴う理由を明らかにする政治的責任がある、という意見である。

これらの点については、法律学の門外漢である筆者の手に余るものであり、詳細は専門家に任せる事としたい。寧ろ、ここで注目したいのは、これらの本来の論点と併せて指摘されている様々な論点についてである。

問題の本質からずれた議論

例えば、今回の任命拒否ついて、彼らの研究者としての業績を挙げ、「このような立派な研究者が任命されないのはおかしい」とする声がある。しかし、そもそも日本学術会議の委員は、大学の教員人事や各種学術賞の選考過程に置けるような、「研究業績」を唯一絶対の基準にして選ばれている訳ではない。そもそも各人の研究業績や「学識」の高さを、各々の専門の範囲を超えて判断する事は不可能に近い。彼らに期待されているのは、各々の学問分野を代表して意見を述べる事であり、個々人の学識の高さに依存する特殊で固有の意見を述べる事ではない。そして、それこそがこの組織が、これまで「研究者の国会」とも呼ばれてきた理由である。それは国会議員が「国民の代表」である事を求められているのと同じである。

また、今回の任命拒否に関わる議論を、任命拒否された人々の政治的、或いはイデオロギー的傾向と絡めて議論する人達もいる。しかし、この様な方向性の議論もまた同様の問題を持っている。今回の議論においての本来の論点は、総理大臣による「任命」拒否が制度的に許されるか否かであり、この場合において任命拒否された人々がどの様な政治的、或いはイデオロギー的傾向を持っていたかは、何の重要性も持たない筈である。これらの研究水準の高さや政治性、イデオロギー性等、個々の研究者固有の属性を以て、この議論を行う事は、逆にこの属性を理由に異なる人々を排除する可能性を開くものであり、寧ろ議論に混乱を招く事になる。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長、神戸新聞客員論説委員を兼任。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。著書に『歴史認識はどう語られてきたか』 の他、『日本の常識は通用しない 慰安婦合意反故「法より正義の国 韓国」』、『朝鮮半島をどう見るか』、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『徹底検証 韓国論の通説・俗説』(共著)など。

ニュース速報

ワールド

福島・栃木県の重点措置要請、速やかに判断へ=西村再

ビジネス

現段階で補正考えずと麻生財務相、コロナ感染増減「見

ワールド

韓国、デルタプラス型のコロナ感染2人を確認 渡航歴

ワールド

菅総裁を今すぐ代える意義見つからない=自民総裁選で

MAGAZINE

特集:世界が尊敬する日本人100

2021年8月10日/2021年8月17日号(8/ 3発売)

免疫学者から歌舞伎役者、ユーチューバーまで世界が認めた日本の天才・異才・鬼才100人

人気ランキング

  • 1

    東京五輪、中国人バド選手が韓国ペアとの試合中に「罵倒」連発で騒動に

  • 2

    元男性が女子の重量挙げに出るのは不公平じゃないの? 五輪史上初のトランスジェンダー選手にくすぶる批判

  • 3

    1匹だけみにくい子猫、病気と思ったら「オオカミ」だった

  • 4

    パリ五輪ロゴの出会い系アプリ激似説がネットで再燃

  • 5

    福山雅治ほどの温厚な人を怒らせた「3つのスイッチ」とは

  • 6

    地球上に残された「最後の秘境」で自然の静寂に耳を…

  • 7

    「競技用ショーツが短すぎて不適切」英パラ代表選手…

  • 8

    コーチもいないオーストリアの数学者が金メダル、自…

  • 9

    人生はほとんど運。運が良い人・悪い人の決定的な差…

  • 10

    「一度壊れると元には戻らない」 コロナに打ち勝つ免…

  • 1

    東京五輪、中国人バド選手が韓国ペアとの試合中に「罵倒」連発で騒動に

  • 2

    1匹だけみにくい子猫、病気と思ったら「オオカミ」だった

  • 3

    いくら太陽光発電所を作っても、日本の脱炭素政策が成功しない訳

  • 4

    「競技用ショーツが短すぎて不適切」英パラ代表選手…

  • 5

    競泳界の「鉄の女」が水の上を歩く奇跡の一枚

  • 6

    チベットの溶ける氷河から、約1万5000年前の未知のウ…

  • 7

    東京五輪、視聴率苦戦の根本理由

  • 8

    ドラァグクイーンと子供のふれあいイベントが抗議殺…

  • 9

    地球帰還のベゾス氏、空気を読まない発言に怒りが集…

  • 10

    福山雅治ほどの温厚な人を怒らせた「3つのスイッチ」とは

  • 1

    東京五輪、中国人バド選手が韓国ペアとの試合中に「罵倒」連発で騒動に

  • 2

    1匹だけみにくい子猫、病気と思ったら「オオカミ」だった

  • 3

    加害と向き合えない小山田圭吾君へ──二度と君の音楽は聴きません。元いじめられっ子からの手紙

  • 4

    20万円で売られた14歳日本人少女のその後 ──「中世に…

  • 5

    「無駄に性的」罰金覚悟でビキニ拒否のノルウェー女…

  • 6

    「1日2個、カットしてスプーンで食べるだけ」 メンタル…

  • 7

    「競技用ショーツが短すぎて不適切」英パラ代表選手…

  • 8

    人間のオモチャにされたイルカ死ぬ──野生動物に触る…

  • 9

    韓国で、日本製バイクの販売が伸びている理由

  • 10

    いくら太陽光発電所を作っても、日本の脱炭素政策が…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

投資特集 2021年に始める資産形成 英会話特集 Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
CCCメディアハウス求人情報
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
Wonderful Story
メンバーシップ登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら
World Voice

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中